【ニュースのフリマ】透析「5000回」のサッカー関係者

2019年03月11日 23時17分

 過去に2、3週間ほど点滴治療を受けたことがあった当時、日ごとに針を刺す場所がなくなり、腕が重くなっていく感覚に悩まされた。それをはるかに上回る過酷さが、人工透析にはあるのだろう。いま問題の「治療中止」問題で、血管に刺す針の痛みなど治療のつらさを訴える患者の声も報じられている。個別の痛みはもちろん、長く続くことも心身への負担を膨らませる。

 人工透析といえば、2017年に68歳で死去した元Jリーグ専務理事の木之本興三さんが思い出される。木之本さんは透析のためリーグ事務局を不在にすることがあった。著書「日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記」には透析のくだりが出てくる。

 同書によると26歳だった1975年に26歳で両腎臓を摘出。その翌日から透析を受けてきた。2008年7月に5000回の節目を迎え、翌月にサッカー関係者が激励会を開いてくれた。透析を始めた当初、「1年で150回、10年で1500回、30年で4500回かぁ。そこまで長生きできると思ってないけど、仮に5000回の大台に乗ることになったら、お世話になった人を呼んで盛大なパーティーを開き、…」と冗談を言っていたが、「実際に5000回に到達してみると『よくぞ、ここまで生き延びたものだ』としみじみと思った」と回顧している。

 透析患者は厳しい食事制限が課せられるのが常だったが、通院先に新たな機器が導入されると日常的な制限が大きく緩和され、赴任してきた医師からも必要以上の制限はしなくていいと言われる。治療を受け始めたころは「将来の不安と死の恐怖で胸が張り裂けそうだった」が、「殺せ!」と叫ぶ木之本さんに医師たちは「自棄になってはいけません」と説いたという。

 翻って現在の「治療中止」問題。「中止」を口にする患者は少なくないとも報じられたが、中止の選択肢を示した医師はどこまで患者に寄り添ったのか。08年以降を加えると、木之本さんの透析回数は6000回に達したとみられる。前出著書の言葉を借りると「サッカーと病魔に翻弄された」人生を生き抜いた。