【ニュースのフリマ】JOC会長の辞め方と最期

2019年03月15日 23時16分

 西側諸国によるモスクワ五輪ボイコットのきっかけとなった旧ソ連のアフガニスタン侵攻から40年の今年は、ボイコットで深い傷を負った日本オリンピック委員会(JOC)が政治の介入を二度と受けぬよう文部省(現文部科学省)傘下の日本体育協会から念願の独立を果たしてから30年の節目の年でもある。

 JOC年表によると、1989年8月7日、「日本オリンピック委員会の財団法人設立許可(文部大臣)、初代会長に堤義明就任」。つまり、今年は財団法人化30周年。平成はJOCにとって新たな組織として歩んだ時代でもあったわけだが、ここにきて竹田恒和会長の「退任不可避」報道が相次ぎ、暗い影を落としている。

 竹田氏は法人化以降では4代目の会長だが、堤氏に始まる歴代会長は驚きや衝撃を呼んできた。

 かつて西武グループの帝王だった堤氏は90年5月、1年もたたずに電撃辞任で「堤ショック」を与える。同年3月の札幌冬季アジア大会で韓国の国歌を間違えるなど運営上の不手際が相次ぎ、その責任をとった説やJOCに嫌気がさした説などがささやかれるも、真相は不明。退任後もJOCには隠然たる影響力を残し、91年に長野五輪招致成功に尽力、92年アルベールビル冬季五輪では日本選手団団長を務め、多数のメダル獲得で沸かせた。だが、2005年に証券取引法違反容疑で逮捕(後に有罪判決)され、表舞台から姿を消した。

 後を継いだ「フジヤマのトビウオ」古橋広之進会長は約9年間在任し、99年に日大の後輩にあたる八木祐四郎氏にバトンタッチ。98年の長野五輪を成功させ、いわば勇退だったが、09年8月に出張先のローマで急逝。東京が立候補した16年五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が2か月後に迫り、招致活動も兼ねて訪れた水泳の世界選手権開催地で客死した。

 古橋イズム継承を訴え99年4月に就任した八木会長は、全日本スキー連盟幹部として世界的に層の薄いスキーのノルディック複合に着目して荻原健司らによる日本の黄金時代を築くなど、アイデアマンで知られた。JOC会長としてもブルドーザーのごとく精力的に活動したが、大阪五輪招致に失敗して間もない01年9月に急逝。米同時多発テロ発生の2日ほど前のことだった。

 その後任が竹田氏。旧皇族の血をひく“プリンス”は一部で早くから会長候補と目されていたが、初代から3代までのような強い個性は感じられない。一方で理事ら幹部にはアスリートとして偉大な実績を残した人は少なくなかったが、対抗勢力や野心をのぞかせる人物も見当たらず。かくして長きにわたった竹田体制も、東京五輪招致疑惑に定年問題が絡んで揺らぎ始めた。順風満帆で終わらないのはJOC会長の宿命なのか。