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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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相撲史に残る珍事もあった輪島さん
2018年10月10日

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 8日に70歳で死去した元横綱で元プロレスラー、元アメリカンフットボール指導者の輪島大士さんの破天荒伝説が各メディアで細かく報じられた中、目につかなかったのが大相撲史上“前代未聞”とみられる1973年九州場所の珍事だ。

 横綱デビューとなったこの年、名古屋場所を11勝4敗で終えた輪島さんは翌秋場所、通算3回目の優勝を全勝で飾る。快進撃を続ける「相撲の天才」「蔵前の星」は九州場所も初日から12連勝と突っ走った。アクシデントに見舞われたのは、その12番相撲だった大関貴ノ花戦。吊り出しで決着がついたこの一番で輪島さんは「右手の人差し指と中指の間を約3センチ裂き、6針縫う負傷を負い、全治10日と診断された」(「戦後新入幕力士物語」佐竹義惇)。

 12日目を終えて全勝は東正横綱の輪島さんだけ。1敗と2敗がなく、3敗の西横綱琴桜と関脇北の湖がこれを追っていた。輪島さんは13日目も出場する。訃報とともに代名詞のように報じられたのが「黄金の左」だが、相撲界では「大成しない」と言われる下手からの強烈な攻めで輪島さんがのし上がったのも、右からの絞り、おっつけがあったからこそ。その右手に重傷を負った状態で4敗の東張出横綱北の富士との一番に臨んだ。

 右がまともに使えず北の富士の外掛けで倒され土がついたものの、それ以前の取組で3敗勢が揃って敗れていたため、13日目にして優勝が転がり込んできた。14日目は休場して前頭5枚目の黒姫山に不戦敗。千秋楽も休んだ横綱は幕内取組終了後、優勝力士として表彰式に登場した。右手は包帯が広く巻かれていた。

 星取表に「や」のついた力士が表彰式で土俵に再び上がる事態を前出「戦後新入幕力士物語」は「こんな怪記録は大正15年(1926年)に相撲協会の公式表彰制度ができて以来前にも後にも、もちろんない」と記している。89年春場所を制した横綱千代の富士が千秋楽に相撲を取らずに表彰式で賜杯を受けたが、この時は不戦敗のため星取表に「や」はなく、成績も14勝1敗だった。

 輪島さんの場合は12勝2敗1休で優勝という異例事態。鋭い批評で知られる元TBSアナウンサーの小坂秀二氏(故人)は著書「昭和の横綱」の中でこの件に触れ、大けがをした状態での出場は「北の富士に対して失礼」と断じ、優勝が決まった途端に休場を決めたことに「このドライな態度には、さすがに非難の声が高かった」と振り返っている。

 当時は琴桜と北の富士が33歳、31歳で、4人の大関のうち清国と大麒麟が32歳、31歳(ほかは23歳の貴ノ花と大受)。世代交代期に起こった珍事は、良くも悪くも25歳・輪島さんのパワーを物語るエピソードとも言えよう。

 

 







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