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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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日本代表に残された‘’未到”ステージ
2018年07月11日

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 取材に基づくものではないが、個人的には「西野続投」にも「クリンスマン」にも違和感があった。日本サッカー協会技術委員長としてハリル氏放逐の一端を担ったであろう西野朗氏が、仮に協会から監督継続要請を受けても、それを潔しとはしないのではないか。元ドイツ代表FWで同国代表監督歴のあるユルゲン・クリンスマン氏も指導者としてW杯で実績を残しているとはいえ、ロシア大会が終わってもいないこの時期に早々と決めてしまうほどの超大物なのか。などと思っていたら11日、スポーツ各紙が一斉に森保一・東京五輪代表監督の名を書きたてた。

 森保氏の是非はともかく、プロ化から四半世紀、W杯初出場から20年の日本サッカーがいまだ成し遂げていないことがある。W杯キャンペーンを完遂して選手たちを4年に1度の大舞台に導いたのは、外国人監督にしか例がない。2002年日韓大会のフィリップ・トルシエと06年ドイツ大会のジーコ、14年ブラジル対会のアルベルト・ザッケローニの3氏にとどまる。

 それ以外では、Jリーグ創設後の1994年米国大会に向けては、旧日本リーグで指導歴のあったハンス・オフト氏が日本人の特性も知りつつチームを成長させたが、「ドーハの悲劇」で散る。98年フランス大会で指揮を執ったのは岡田武史監督だったが、W杯キャンペーンは元ブラジル代表のスター選手パウロ・ロベルト・ファルカン氏の下で始まった。ファルカン氏は大胆な若手起用でタレント発掘に手腕を感じさせるも、広島アジア大会で振るわず、「コミュニケーション問題」を指摘され、加茂周氏にチェンジされる。その加茂氏はW杯最終予選の修羅場で解任の憂き目に遭い、コーチだった岡田氏が引き継いだ。

 日韓、ドイツはトルシエ、ジーコの両氏がキャンペーン完走。10年南アフリカ大会はピッチでこれを迎えた岡田氏にとって再びの途中登板。当時は予選の初めから指揮しており、98年とは違って事実上の完投とも言えるが、最初に任務を託されたのは名匠イビチャ・オシム氏で、病に倒れるまで1年ほど務めている。メキシコ人ハビエル・アギーレ氏で臨んだロシア大会キャンペーンも、本番の会場にいたのは西野氏だった。

 つまるところ、プロ化以降のW杯7大会にあたって、日本人監督体制でスタートを切ったことは一度もない。森保氏であるかどうかは別として、日本人が起用されれば、それ自体が快挙。その上、4年間指揮を執り続けて22年カタール大会に出場できれば、「未到」の域に達する。

 フランス大会は全員Jリーガーで臨んだ日本代表は、いまや海外組がほとんどを占める時代に。一方、日本人指導者が世界の有力クラブで監督を務めるには至らない。まずはW杯キャンペーン完遂が見たいところだ。

 

 

 

 







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