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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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毎日新聞・冨重さんを悼む
2018年03月13日

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 10日の毎日新聞朝刊の運動面を見て驚いた。平昌パラリンピックの関連記事に掲載された顔写真に「故・冨重記者」というキャプションがついていた。恥ずかしながら冨重圭以子さんの死去を知らなかったのだが、2月27日の社会面で「26日、乳がんのため死去」と定型の訃報記事で伝えられていた。62歳の若さだった。

 10日付紙面には「未来見通した記事」として、冨重さんが長野パラリンピックで書いた記事が紹介されていた。筆者が1992年アルベールビル冬季五輪前後、にわか勉強でフィギュアスケートの取材に“スポット参戦”した際、教材にさせていただいたのが冨重さんの記事だった。

 「ネット以前」の当時、は記者たちにとって資料は新聞や雑誌記事のスクラップが中心の時代。筆者もジャンプの種類を覚えるのはテレビ放送の録画映像に頼ったが、背景となる知識は毎日新聞の記事が参考になった。アルベールビルの金メダル有力候補で日本選手団の目玉でもあった伊藤みどりについて、「ルッツが苦手」などと勉強したのは冨重さんの記事で、89年の世界選手権優勝や翌年の同大会銀メダルなどの記事コピーは取材現場に持ち歩いていた。

 とはいえご本人にはフィギュアの大会やスケート記者会などでお目にかかる程度で、まともに話をした記憶はない。アルベールビル五輪ではプレスルームの席が近かった記憶があり、各社記者間の酒食雑談で「イクラ」や「ウニ」という言葉が飛び交うと「冨重さんが敏感に反応する」との評判が聞かれたから、お酒と魚も愛していたようにうかがえた。

 伊藤みどりという個人が突出していた日本のフィギュアスケートはその後、改めて説明するまでもない黄金時代を迎えた。女子に隠れた感のあった男子も同様なのは、平昌での羽生・宇野ワンツーフィニッシュが示したばかり。おそらく現在は各社ともフィギュアの主要大会には少なくない数の記者を投入しているのだろうが、五輪以外は大方ひとりというような時代にフィギュアに精通していたのが冨重さんだった。

 記憶では、数年前に同業者を囲む会があった際に同席したのが最後。筆者は記念撮影役として集合写真を撮影したのだが、当方のだらしなさゆえ、出席者に写真を送らずに済ませてしまったーー。







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