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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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国際スポーツ政界“韓国の剛腕”死す
2017年10月04日

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 韓国で初の冬季五輪となる平昌五輪が開催される2018年は、やはり同国で初めて開催された夏季大会・ソウル五輪から30年の節目となる。ソウルは名古屋と招致レースで争った末、1981年にバーデンバーデン(旧西ドイツ)で行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催都市に決定。日本オリンピック委員会(JOC)総務主事として名古屋陣営で戦い、悔しい思いをした岡野俊一郎・元IOC委員が2月に85歳で他界し、後を追うようにソウル招致に尽力した韓国の元IOC委員・金雲龍氏も3日に86歳で死去したことが報じられた。両氏は同じ31年生まれだった。

 

 スポーツ政治の世界でらつ腕を振るうというと02年サッカーW杯で日本と激しい招致合戦を戦い共催に持ち込んだ鄭夢準・元韓国サッカー協会会長のイメージが強いが、清濁併せ呑みぶりは金氏の方がスケールが大きいかもしれない。ビジネス界出身で韓国大統領、国際サッカー連盟(FIFA)会長への野望を抱いた鄭氏は18、22年のW杯招致活動でFIFAの倫理規定違反に問われ、資格停止処分を科された。IOCで副会長にまで上り詰めた金氏は、IOCを揺るがせたソルトレークシティー冬季五輪招致をめぐる倫理問題で一度は“失脚”しながらも復活し、テコンドーにまつわる金銭問題で04年に韓国の裁判所から懲役2年6月の有罪判決を言い渡され、後にIOCを去った。

 

 01年まで20年にわたってIOCに会長として君臨した故フアン・アントニオ・サマランチ氏に次ぐナンバー2として栄華を極めた時期もあった金氏については、IOCの暗部をえぐり出したとして衝撃を呼んだ「黒い輪」(ヴィヴ・シムソン、アンドリュー・ジェニングズ=日本刊行1992年)の続編「オリンピックの汚れた貴族」(ジェニングズ=同98年)に詳しい。

 

 同書は「『ミッキー』金」として1章を割き、金氏の実力者ぶりを記述している。大統領の座から一気に転落した朴槿恵氏の父・朴正熈氏の政権で外交官として重用され、韓国の国技とも言えるテコンドーを通じてスポーツ界へ。国際競技連盟のトップに就き、ポスト・サマランチの候補と目されたことも。軍事政権から転換した80年代当時の韓国が進めたソフト路線の一環が東京に次ぐアジアで2度目の五輪開催で、金氏は諜報機関KCIAをバックに“暗躍”。88年五輪招致では、バーデンバーデンにおけるIOC委員らへのすさまじいまでの接待ぶりが虚実ないまぜに語られた。

 

 「金雲龍は、常に闇の部分を背負った韓国の政治体制の申し子だ」

 「86年、ローザンヌのコンベンションで晴れてIOCの一員となった。就任9日にして、国際競技連盟連合(GAISF)の会長となり、オリンピックはもとより、世界スポーツ界を手中に収めた」

 「一介のスパイからIOCの理事へ」

 

 上述のように、前出の両書籍で金氏はスポーツ政治の世界における剛腕どころか妖怪のように描かれている。サッカー選手出身の“プロパー”かつ東大卒業後は家業を継ぎ、日本サッカー協会の会長も務めた岡野氏とは対照的なキャリア。一方で金氏は同書刊行後の00年に開催されたシドニー五輪で、開会式での南北合同入場行進を実現させた。テコンドーは韓国と北朝鮮でスタイルが違うといい、そんな中で今年は韓国で開催された世界選手権に北朝鮮のデモンストレーションチームが招待された。文在寅大統領の平昌五輪南北合同チーム構想を北朝鮮は無視したが、金氏も同じ願いを抱いていたかもしれない。

 







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