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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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監督のクビを切らずによかった青学駅伝チーム
2013年01月02日

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 箱根駅伝のダークホースと目されるのは、昨年10月の出雲全日本選抜駅伝を制し、大学3大駅伝初優勝を果たした青山学院大学である。当時、ある青学大職員は「いつも早稲田や東洋に置いていかれるのに、先頭でゴールするなんて夢みたい」と感激し、「テレビが生中継する影響力は大きい」と、箱根で上位に入ることによる入学志願者増加も期待していた。今回は5大会連続となる出場で、2009年の22位以降は8位、9位、5位とひとケタを維持。実力校として定着した。

 

 ブランド価値は高いと思われる「青学」にしても、他の私立大と同じく、スポーツの成績による好感度アップがないと経営が苦しいということ。転機となったのは、神奈川県の厚木キャンパスなどを閉じて新たに同県相模原にキャンパスを開いた2003年。駅伝を中心とした陸上部の強化もこの年に始まった。厚木キャンパスは「厚木まで(都心から)2時間かけて行って、何が青学だ、と言われた」(前出の職員)ように大学の人気向上にはつながらず、相模原キャンパス設置を機に、学生集めの目玉とされたのが体育会の強化だった。

 

 この03年、大学は体育会に強化指定部制度を導入し、指定された部には推薦で選手を入れやすくする枠が与えられた。「最初に指定されたのが陸上部」(同)。力を入れたのは選手獲得だけでなく、実業団陸上の名門・中国電力にいた原晋氏(45)を陸上部の中長距離部門の指導者に招いた。

 

 「監督は大学の職員として引っ張られ、合宿所に夫人と一緒に入って二人三脚で始めた。結果が出なくて大変な時期もあったそうです」(同)

 

 青学陸上部の創部90年史とおぼしき文書がインターネット上で見ることができるが、そこに「大変な時期」の回顧談もある。それによると、1976年を最後に箱根駅伝出場が途絶えていた青学は、原監督に3年で箱根の舞台に復帰するという使命を課した。ところが3年目の2006年年度も予選突破がかなわず、陸上部は厳しい批判にさらされた。結果、当初は8人分あった推薦入学の枠を1人に減らされたが、それまで続いてきた強化体制は維持。監督も続投し、08年10月の予選会で33年ぶりとなる箱根路を決めた。

 

 90年史に、就任時の条件をめぐる陸上部強化委員会と原監督の要望が出ている。強化委は「大学嘱託職員として任用」「期間は3年」「現在の収入は保証」を掲げた。これに対し原監督は「3年間の出向及び休職しての指導は、中国電力と青山学院大学との関係が今までないので無理」「退職して就任するしか方法はない」「3年間で結果を出した場合、3年後の身分の保証をしていただきたい。結果が出ない場合はその必要はいらない」と自ら退路を断つ旨を明確にした。箱根出場という「結果」が出なかった3年目で契約満了となってもおかしくないところだったが、続投により今日の隆盛をみた。

 

 2008年大会では、予選敗退校による学連選抜を率いて同チーム史上最高の4位に。今回は青学をそれ以上に引き上げることができるか。

 

 

 

 







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