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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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ラグビー時代も“阿修羅”だった?原さん
2015年05月01日

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 さすが地元の反応は早かった。

 

 元プロレスラーでラグビーでも日本代表FWとして活躍した阿修羅原さん(享年68)が肺炎のため死去した4月28日、長崎県ラグビーフットボール協会は午後5時16分付でフェイスブックに「心よりご冥福をお祈りします」と追悼コメントを写真とともに発している。ラグビー界では最速のお悔やみ表明とみられる。原さんは同県の諫早高校でラグビーを始め、東洋大から近鉄に進んで日本代表に選ばれ、1977年に突然、プロレスラーに転じた。

 

 レスラー「阿修羅原」の評伝は訃報で詳しく伝えられたが、ラガーマンとしてはそれほどではなかった。近鉄時代に社会人制覇(69年度、74年度)、日本選手権優勝(74年度)など数々の栄光に彩られた原さんのラグビー人生。国際舞台での華は、76年にウェールズのカーディフ・アームズパークで世界選抜の一員としてプレーした一戦と、日本が世界強豪に迫った71年9月のイングランド戦だろう。花園で19-27、秩父宮で3-6という接戦にいずれも背番号1の左プロップで出場し、屈強な巨漢英国人を相手に体を張った。

 

 米スポーツ専門チャンネル・ESPNのウェブサイトのデータベースは素晴らしい充実ぶりで、44年前にもなる71年の主要国際試合を網羅している。イングランドの日本戦は香港、シンガポール、スリランカも回るアジアツアーの一環で、正規代表ではなく「イングランド・フィフティーン」として臨んだためか、同サイト上の分類は「マイナー・ツアー」扱い。各試合のメンバー表も出ており、日本の1番は「ASURA HARA」と“阿修羅”を思わせる書き方がなされていた。

 

 原さんのリングネームは国際プロレス入団後の78年12月、海外武者修行からの帰国後に発表された。命名者は作家・野坂昭如氏。ESPNサイトにはフルネームとして「Susumu Hara」(原進)と本名の記載もある。原さんに当時から「ASURA」のニックネームがあり、日本協会がミドルネーム的に表記していたのか、あるいはプロレスでの活躍を知ったESPN側が後付けで書き入れたのか、実際のところは分からない。

 

 原さんは世界に知られた名ウイング坂田好弘らを擁する黄金期の近鉄ラグビー部に入り、ナンバー8として活躍。1年目の70年3月、来日したニュージーランド学生代表戦でジャパン・デビューを果たした。以来、76年10月にラグビーの聖地トゥイッケナムで行われたイングランドU-23代表戦までキャップ17を数えた。相手がフル代表でなくてもテストマッチと認定される時代だったが、一方で厳格なアマチュアリズムのもとで競技が行われ、年間の国際試合が現在より少なかった当時のキャップ17はかなりの数。まぎれもなく70年代前半を代表するFWの1人だった。

 

 ラガーマン・原進は数年前にシリーズ刊行された「日本ラグビー激闘史」(ベースボール・マガジン社)に詳しい。内容を拝借すると、長崎の自然あふれる環境で育った少年が諫早農業高校で相撲を始め、相撲界から誘われるほど県内では無敵を誇った。一方でラグビー部にも駆り出され、卒業後は東洋大に進学してラグビーを極める。日本代表候補にもなり、近鉄で開花。71年のイングランド戦は、FWの大型化を図った名将・大西鉄之祐監督の意向で2か月前に182センチ、87キロの原さんが第1列の左プロップにコンバートされ、猛練習でその期待に応えた。後に右プロップの3番も務めた。

 

 同書に坂田氏がコメントした原さんの印象がすさまじい。

 

 「ものすごい突進力。タックラーを吹っ飛ばすというよりも、相撲のすくい投げみたいに、相手を次々と転がしてはどんどん前に進んでいく。何人も引きずって走ることもありましたね。ラグビーではないスポーツみたいでした」

 

 楕円球の世界にとどまらなかったのも、むべなるかな。ラガーマン時代から「阿修羅」の片鱗は見せていた。







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