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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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こちらも「40周年」アリVSフォアマンの今日的意義
2014年11月02日

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 サッカーのクラブW杯出場権もかかるCAF(アフリカサッカー連盟)チャンピオンズリーグ決勝はASヴィタ(コンゴ民主共和国)とESセティフ(アルジェリア)との間で戦われ、2-2で終わった10月26日の第1戦は、ヴィタの地元キンシャサのスタッド・タタ・ラファエルで行われた。その4日後の同月30日は、国名がザイールで同じ競技場が「5月20日スタジアム」と呼ばれていた1974年に同所でモハメド・アリとジョージ・フォアマンが戦ったボクシングのWBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチから40周年にあたる日だった。

 

 10月14日付の当欄で「長嶋茂雄引退試合から40年」と書いたが、「キンシャサの奇跡」と称される名勝負はそれをはるかに上回る歴史的出来事として語り継がれてきた。インターネット上だけでも、海外メディアの大々的な40周年報道があふれるほど掲載されている。勝てないと思われた挑戦者アリが8回KOで無敗の王者フォアマンを葬り、ベトナム戦争徴兵拒否で失われかけたキャリアを劇的な王座奪回で輝かせた勝負の内容はもちろん、両者にまつわるエピソードや時代背景…。その“語り尽くせぬ”魅力は今日も失われていないことが分かる。

 

 韻を踏んだ「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルでのけんか)というキャッチーなサブタイトルのもとに戦われたこの世界戦は回顧趣味を超え、すぐれて今日的な意義を持っている。良くも悪くも時代を先取りしたイベントでもあったのだ。

 

 試合開始が午前4時、それは米国でのテレビ放送に合わせたといえば、思い起こされるのは同じ理由で一部競技の決勝が、通常ならあり得ない時間帯に繰り上げられた88年ソウル五輪(後に北京も)。スポーツが商業主義に毒されたなどと批判されたテレビマネーの取り込みは、10年以上も前にアフリカでのボクシングマッチで実践されていた。ファイトマネーを含めて巨額のカネが動くヘビー級戦はビジネスでもあり、テレビは欠かせないプレーヤーと言える。

 

 この試合のプロモーターで、ボクシング界を牛耳る存在となるドン・キング氏はテレビ以外からも資金を引き出すため、当時ザイールの独裁者モブツ大統領のサポートも取り付けたとされる。商売人としての鋭い嗅覚でアフリカに目をつけ、アフリカ系米国人がホームランドで世界タイトルをかけて激突するという絵を描いたキング氏と、試合にプロパガンダとしての価値を見出したモブツ氏の利害が一致。これはやはり、その後さまざまな競技で問題が生じた「スポーツの政治利用」にもつながる。

 

 さらにこの世界戦では音楽との融合も図られた。キンシャサで開催されたブラック・ミュージックの祭典「ザイール’74」。ジェームス・ブラウンやB.B.キング、ザ・クルセイダーズといった黒人アーティストのレジェンドが一堂に会したこのライブは9月に行われた。試合もそもそもは9月の予定だったが、フォアマンのアクシデントにより延期され、音楽の方はスライドせずに先行実施となった。音楽とスポーツの親和性もまた、現在も重視されるところだろう。

 

 一連の経緯は、アカデミー長編ドキュメンタリー賞も受賞した「モハメド・アリ かけがえのない日々」(96年)や、「ソウルパワー」(2008年)の両映画を見ればよく分かる。

 

 72歳のアリ氏は健康不安が伝えられ、自身の名を冠したグリル・マシンのセールスでも成功した65歳のフォアマン氏はツイッターで「40年たっても彼を愛している」とかつてのライバルにエールを送った。毀誉褒貶つきまとう83歳のキング氏はなお現役で、タイトル戦に関係する裁判沙汰が最近も報じられている。







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