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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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大関昇進の星事情
2014年07月29日

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 満場一致で承認されるのが通例の日本相撲協会理事会による横綱・大関昇進の審議だが、2000年夏場所後の関脇雅山をめぐって物言いがついたことがある。直前3場所で34勝と大関への星数は十分だったものの、同じ武蔵川部屋にいた1横綱2大関との対戦がないことに加え、取り口にも疑問が呈されるなどして異例の採決となり、7対3で昇進が決まった。結局、在位わずか1年あまり、24歳にして陥落。2006年、小結・関脇の3場所で34勝を挙げたが、カムバックできなかった。

 

 先の名古屋場所で12勝の関脇豪栄道は直前3場所が32勝、しかも2場所前が8勝ながらも昇進ムードが強い。そのあたりの事情を29日発行(一部地域を除く)の本紙紙面に担当記者が書いているが、番付は生き物。その時々の状況で明暗分かれるのが実情だ。

 

 大関昇進ではその昔、2場所前に8勝も珍しくなかった。1972年秋場所後に貴ノ花と同時昇進した輪島は12勝で優勝後、8勝、13勝で大関へ。貴ノ花は3場所33勝はともかく直前場所が10勝と最低ライン。それでも、敗れた千秋楽の輪島戦が水入り大相撲で観客を沸かせ、貴輪時代待望ムードとあいまって昇進。当時の3大関(琴桜、清国、大麒麟)が30歳とベテラン揃いだったことも後押しになった可能性がある。

 

  NHK解説者・北の富士氏(元横綱)は66年名古屋場所後、直前3場所28勝の星数で大関に上がっている。直前場所も10勝。当時の番付が1人大関(豊山)に4横綱(大鵬、柏戸、栃ノ海、佐田の山)といういびつな構成だったことも低ライン昇進の背景にあったとみられる。大関は2人いるのが建前で、1人の場合は横綱が番付上は「横綱大関」とされて穴を埋める。

 

  2場所前に8勝で上がった大関はほかに、元横綱朝潮、元横綱初代若乃花、元横綱鏡里、松登と、ほとんどが最高位を極めているから、昇進の見極めは星数がすべてではない。鏡里に至っては3場所前から9勝、8勝、11勝と2けたが1場所の計28勝にもかかわらず、計36勝の吉葉山と同時昇進。当時大関は3人いたものの、1人は陥落、1人は引退寸前だった。朝青龍の師匠の師匠にあたる元横綱朝潮もは8勝、8勝、13勝の優勝で大関だから、一発合格に等しいだろう。ともに2場所前が9勝だった栃ノ海、佐田の山の元横綱2人と北葉山も、3場所前と2場所前がいずれも1けたで、朝潮と同類に入る。

 

 星数十分ながら大関を逃した「悲運の力士」が、1972年春場所の長谷川だった。先日死去した元放駒理事長の魁傑との決定戦を制して初優勝。8勝、10勝、12勝だが見送られ、以後チャンスは訪れなかった。当時いた4大関のうち、前の山が陥落となったが、長谷川を上げた場合、前の山が翌場所10勝で復帰すると大関が5人になる可能性がある上、前の山が無気力相撲で注意を受けたことを含めて総体的にふるわない既存の大関陣への風当たりの強さもあり、長谷川はその“とばっちり”を受けたとも言えた。

 

 霧島以降の平成に昇進した大関は、3代目横綱若乃花の37勝など、軒並み直前3場所のレベルが高い。33勝が最低ラインと化した感もあり、武双山は96年、10勝、12勝、10勝で上がれず、約4年後に10勝、13勝優勝、12勝の文句なしの星数で“リベンジ”を果たした。例外は、今回の豪栄道と同じ計32勝、しかも直前10勝の稀勢の里。直前場所は横綱大関戦が1勝4敗、上に4大関がいたにもかかわらず上がった。3場所計34勝の元横綱曙も2場所前は8勝だった。豪栄道が横綱を目指す上で、こうした先例は貴重なデータとなろう。







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