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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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浦和高校ラグビー部が執念の打倒深谷で花園へ
2013年11月17日

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 宇宙飛行士若田光一さん(50)らを輩出した全国屈指の進学校・埼玉県立浦和高校ラグビー部が16日、第93回全国高校ラグビー埼玉県大会で県立深谷高校を14-7で破り、54年ぶり2回目の全国大会出場を決めた。前回は違う会場だったため、浦和が花園でプレーするのは初めてとなる。深谷とはこの5年間で決勝戦4回、準決勝1回の対戦があり、いずれも敗れており、ノーサイド直後、主将のフッカー柴田尚輝は「深谷にずっと負けてきて、とうとう勝つことができて本当にうれしい。いろいろな人たちに支えてもらったおかげです」と顔を真っ赤にして泣きながら語った。

 

 共学校の深谷は、バックスタンドから女性の応援が紺と水色のジャージーに向けられる。紺のジャージーの男子校・浦和には応援団の野太い声。控え選手らも含めて円陣を組んだ浦和は勇ましく、おごそかに青空に包まれたピッチへ。

 

 浦和のキックオフで始まった序盤、浦和はオープン展開やFB佐久間のロングキックなどで深谷を揺さぶる。密集戦に長ける深谷はたびたびのターンオーバーで逆襲をかける。9分、浦和ボールを奪ってからのキック戦で得たPKで深谷SO金井がゴールを狙ったが、右中間約45メートルのロングキックは当たりそこないで、バウンドしてゴールポストに当たり、浦和が確保。その後も佐久間、左WTB中村が相手DFライン裏へ抜け出しチャンスを作るが、最後にパスが乱れたり、ショートパントをチャージされるなどして決定機を作れない。

 

 深谷陣22メートルライン内に入るとモールからの攻撃も積極的に仕掛ける浦和。ミスも出るが、深谷も反則を繰り返し、浦和はタッチでゴールに迫る。21分、ほぼ5メートルライン付近の右サイドのラインアウトから再びモールを形成し、右へ回してから今度は左サイドに方向を変え、ゴールライン直前まで進んだところでFL岩田が待望の先制トライ。SH神のコンバージョンも決まり、7-0とした。

 

 直後のキックオフからの攻撃でも深谷は反則を犯すなど、どこか落ち着きなさげ。浦和は両ロックの安定したラインアウトからのボール供給を受け、SO室田とCTB軽部のパスを中心に、飛ばしやブラインドからのライン参加を使って多彩な攻撃を繰り広げ、守っては素早いつぶし、1人に3人が飛び込む思い切りのよさで深谷のパワーを食い止めた。佐久間の確実なキックのキャッチングも光った。

 

 後半は深谷が流れを変えるべく攻め立てた。4分、浦和陣内の左ラインアウトからラックを連続支配し、SH中嶋が不意打ちのようなキックをインゴールに蹴り込んだ。インゴール右奥でボールを負う深谷の選手と追走する浦和DFが交錯。どちらがダウンボールしたのか、レフェリーはタッチジャッジに確認後、深谷WTB中尾のトライとした。難しい位置からのコンバージョンも金井が決めて同点に。

 

 こうなると実績あるチームが力の差を見せ始める流れだが、浦和は浮き足立たなかった。前半同様パスを回し、深谷の反則を誘う。15分、深谷陣内左サイドのラインアウトから作ったモールを押し込み、左中間に動いたところで、室田が眼前にできたスペースを約20メートルほど走り抜けてトライ。ゴールも決まり、14-7と突き放す。

 

 スタンドの浦高生マムとおぼしき応援団から「このとられ方はショックでしょう」。もちろん、6連覇を狙う深谷がこのままフェードアウトするわけもない。激しく攻め立てるが、浦和の防御も強固。CTB後藤が頭を打って倒れ、救急車で病院に運ばれるなどダメージを受けつつも、ロスタイムで時計が39分まで進んだ戦いを制した。

 

 感極まるスタンドの浦和関係者。グランド脇では控え選手も泣いていた。感激がこれから高まろうというところで、小林剛監督(39)は選手たちにクギを刺すことも忘れなかった。

 

 「喜んでいいよ。たいしたもんだ。でも、ロッカーに入ってから外に出たら、大騒ぎをするな。負けた相手のことも考えなければいけない。これまで深谷にずっと負けて、俺たちがその立場だったから、その気持ちが分かるだろ? 深谷がいたから、俺たちは強くなった」

 

 その小林監督は「今までで一番、指示をしていない代だった」と快挙を成し遂げたフィフティーンを語る。もともと選手自らの判断力に重きを置く指導をしてきたが、特に現チームに対しては、あれこれ言わなかったという。室田の決勝トライは「SOが行く、というサインは出ていなかったと思う。あそこは何も考えていなければ、大外まで回す。(前にあるスペースが)見えたから行ったのだろう」と本人の自己判断だと受け止めた。もちろん、SOの前に開いたスペースは、それまでのオープン攻撃で深谷DFの意識が外へ向いていたことによる産物とも言える。

 

 2001年から指導してきた小林監督は「学校関係者、ラグビー部関係者、いろいろな人たちが支えてくれた。僕は何もしていない。何もできないから、いろいろな人に支えてもらった」。ここ数年は悔しい思いを繰り返したとはいえ、決勝の常連だった。過去には1977年、埼玉県大会(当時は優勝チームが群馬代表との北関東大会で花園行きを争ったが、埼玉が事実上の決勝戦といわれた)熊谷工業にあと一歩まで迫りながら、敗れたことがある。当時は熊谷工業の壁が厚かった時代。浦和も部員は30人程度の時もあった。現在は70人を超す大所帯。東大進学者数で高校別上位に入る同校だが、涙の晴れた柴田主将は「センター試験もあるけれど、花園2勝を目指す」と力強く言い切った。







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