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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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選手を終えて17年後に引退試合をした「打撃の神様」
2013年10月31日

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 「最終出場 1958年、1975年3月23日(引退試合)」

 

 「1975年3月 後楽園で川上哲治の引退試合が行われる」

 

 

 28日に老衰のため93歳で死去していたことが30日に明らかになった元巨人軍監督川上哲治さんの「引退」について、上記のような記述を関係方面のウェブサイトで見つけた。上段は出身地である熊本県人吉市のNPO法人・人吉市体育協会による「川上哲治の野球人生」、下段はかつて後楽園球場があった東京ドームシティの「東京ドームの歴史」から引いたもの。

 

 現役選手としては58年に引退した川上さんは、コーチと監督を務めたため巨人のユニホームを着続けた。監督として最後の指揮を執ったのはV10を逃した74年の11月20日、静岡・草薙球場で行われた日米野球・メッツ戦で、長嶋茂雄や王貞治に花束を贈られ、記者会見も開いているが、これは引退試合ではない。「クリーン・ベースボール」を掲げたものの最下位に沈んだ長嶋巨人の初年度シーズン開幕を前にした75年3月23日、ようやく引退試合が実現した。

 

 くしくもこの日は55歳の誕生日。バットを置いて17年もたってから引退試合が行われる選手も珍しいだろう。76年の長嶋巨人初優勝を記念して出版された「週刊アサヒ芸能 緊急増刊」には、笑顔の背番号「90」長嶋新監督の前で、右手で帽子を掲げてベンチに戻る川上さんの姿を収めた写真が掲載されている。キャプションは「江夏の内角球を川上は右翼へ大飛球。鉄人・川上哲治の引退試合だ。そしてバトンは長島に」。この写真のクレジットは「野球体育博物館・日刊スポーツ」となっているが、その日刊スポーツの31日付紙面では「オープン戦」としか書いてなかった。

 

 現在欠番とされている野球協約の97条から100条には、かつて「10年選手制度」に関する規定があり、10年選手に関するさまざまな“特権”が定められていた。引退試合もその一つで、75年の試合は野球協約に基づくものとしては最後の引退試合だったという。

 

 2度引退したかのような川上さん。これもまた「打撃の神様」の偉大さを物語るエピソードのようなものか。







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