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ハダカの長嶋巨人(5)
2014年03月03日

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【駒田FA騒動】巨人の歴史の中で、最初にFAを使って巨人を去っていったのが、駒田徳広さんだ。まだFAではメジャーに移籍できなかった時代、野球選手なら誰もがあこがれたのが、伝統も人気もあり待遇もよかった巨人でプレーすること。だが、それでも駒田さんは1993年オフ、横浜(現DeNA)へと移籍した。原因は首脳陣との確執。というより「マスコミ」ではなかったか。当時を取材した者として、自分たちマスコミが駒田さんをどんどん追い詰めていってしまったのではないかと思っている。

 そもそもの「確執」のきっかけは、中畑打撃コーチとの口論だった。93年オープン戦、開幕も間近に迫ったある試合での出場を志願した駒田さんの申し出を、中畑さんは一蹴。その後「出す」「出さない」の激しい言い争いに発展した末に中畑さんは「意地でも使わない」とまで言い切った。そこまでいったら2人の関係が微妙になるのも仕方がない。当然、中畑さんのマスコミへの“駒田評”は厳しくなり、それを新聞で目にした駒田さんはどんどん不信感を強めていった。

 ついには中畑さんが「このままでは大変なことになる」とオフのトレード放出を示唆する発言をし、それをマスコミが大きく取り上げたことで、駒田さんはFA移籍を決断した。その記事が出た翌日、中畑さんは駒田さんを飲みに誘っているが、駒田さんは頑なに拒否。もっと早い段階で互いに話し合い、誤解を解くことができていたら…。駒田さんが巨人を出て行くことはなかったように思う。

 駒田さんは、本紙連載で「駒田担当」となった私に、そんな当時の内幕をいろいろと明かしてく
れた。そして「自分の決断に後悔はしていない」と言い切った。それでも「巨人のまま引退できていたらどうだったかなあ…」なんて時折寂しそうな表情を見せていた。

 現在、巨人から国内他球団に移籍した選手には駒田さんのほかに小久保、サブロー、鶴岡らがいる。だが、その中で「生え抜き」は駒田さんただ一人だ。

(運動部デスク・溝口拓也)







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