プロフィール
山口敏太郎(やまぐちびんたろう)
1966年7月20日徳島県生まれ。作家・オカルト研究家。神奈川大学卒業後、日本通運入社。96年に作家デビュー後、多様な分野にわたるエッセーや論文、小説コンテストにおいて11回の受賞歴を経てプロ作家に転身。独立し現在に至る。妖怪・UMA・UFO・都市伝説などの不思議分野において本格的な解説ができる作家としてテレビ・ラジオに多数出演。




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【UMA図鑑(28)】ゴジラ誕生4年後に目撃された「南極ゴジラ」正体はいまだに不明
2013年12月13日

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 12月10日、ハリウッドで再リメークされる映画「GODZILLA」(日本公開2014年7月25日)の予告映像が公開された。併せてポスター・ビジュアルも解禁。予告映像にはゴジラの霧に包まれたシルエットと雄たけびも公開され、ゴジラ生誕60周年となる来年は、世界が久々の「ゴジラ・フィーバー」に沸きそうだ。

 かくいう筆者・山口敏太郎(1966年生まれ)もバリバリの“怪獣世代”で幼きころに「ゴジラ対ヘドラ」「ゴジラ対メガロ」「ゴジラ対メカゴジラ」などをスクリーンで鑑賞している。毎年、東映のまんがまつりを鑑賞すべきか、東宝のゴジラ映画を鑑賞すべきか悶絶して悩んだものだ。

 そんな幼年時代を過ごした筆者にとって忘れられない話がある。なんと筆者の地元・徳島県に怪獣・ゴジラと遭遇した人物がいたというのだ。

 それが1958年に第1次南極観測隊員を送り届けた海上保安庁「宗谷丸」の船長、松本満次氏が目撃した「南極ゴジラ」である。

 松本船長が目撃した南極ゴジラは、南極の水面から黒い頭をひょっこりと出し、馬か牛のような輪郭に頭頂部分が丸く猿のようにも見え、全身を覆った体毛は黒褐色で10センチほどの長さ、髪形は子供のおかっぱ頭のようにもみえ、大きな目、とがった耳が2つずつあったという。

 南極ゴジラが書かれた唯一の資料「南極輸送記」(著・松本満次、1959年・創元社発行)の「南極の七不思議」の4番目の項「ゴジラ」には目撃の詳しい経過が記されている。

 宗谷丸のブリッジでは、松本船長ほか数人の船員たちがくつろいでいた。時間はちょうど午後7時を回っていたが、思いのほか明るかったと記録されている。そのとき突如として、宗谷丸の先方に黒く巨大な物体が船の近くに浮かびあがったのだ。その物体と宗谷丸の距離は約300メートル、海の男ならば十分、目視観察できる距離である。

 当初は、先行する船の捨てたドラム缶ではないかという意見が出されたが、風速7〜8メートルの中で、空になったドラム缶が海面で垂直に立つわけがない。全員が凝視する中、その物体が宗谷丸の方に振り返った。

「すわっ、怪物か」

 一同が騒然となり、当直航海士はすぐ手元の双眼鏡で観察を続け、機関長は大急ぎで、自分の部屋へカメラを取りにいった。だが、戻ったときはもう、怪物は船の死角に入っており、撮影はできなかった。時間にして、約30秒くらいは見えていたという。

 このとき松本船長は海上保安庁へ無線で報告をしており「南極に怪物現る」というニュースはマスコミに知らされ、帰国時の記者会見で質問が出るほどだった。

 松本船長が南極で怪物を目撃したのが1956年、東宝の「ゴジラ」が公開されたのが1954年のため、怪物の名前は松本船長自ら、南極ゴジラと発表した(当時は「怪獣」の名称はすべて「ゴジラ」となることが多かった。「テレビゲーム」=「ファミコン」のようなものである)。

 さて、「南極ゴジラ」の正体であるが、同船に乗船していた観測隊員の生物担当の吉井博士が目撃談を総合し、正体を結論づけようとしたが、結局怪物の正体がなんだったのかはいまだに不明のままである。

 

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