プロフィール
田名部生来(たなべ・みく)
☆1992年12月2日まれ。滋賀県出身。2006年に「第三期AKB48追加メンバーオーディション」に合格後、チームB→チームK→チームBメンバーとして活動。14年の「第6回AKB48選抜総選挙」は71位で初ランクイン。16年の「第7回AKB48グループじゃんけん大会」で優勝し、初めてセンターを務めた。今年7月23日にグループを卒業した。 ☆公式ブログ「まじめにふまじめ」(https://ameblo.jp/mnks-mnks/)☆公式ツイッター(@mnkspan)




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家なき子状態の私を救ってくれたヒーロー
2017年12月05日

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田名部生来

 前回は叔母の家に居候しながら厳しいレッスンに耐える日々。編入しようとした中学校にも「AKBって!?」と門前払いされた話をしました。

 それから私はどうしたかといいますと、両親には「これ以上、ムリだ」と泣きながら相談して、叔母の家から出て行くことになりました。叔母から解放されてうれしい半面、行くあてのない絶望も待ち受けていて、まさに家なき子ですね。

 そんな私を見かねて1人のヒーローが滋賀からやってきてくれました。両親から説得された、当時は神戸で女子大生生活を謳歌していた姉です。この時、姉とはそこまで仲良くなかったのですが、潔く大学を休学して上京を決意してくれたんです。

 聞いてみると「大学退屈やったしー」とか「東京とかかっこええやん」とか言うんですが、私の一大事に飛んできてくれた私の本当のヒーローでした。

 そこからは姉と2人の生活が始まりました。私たちは山手線しかわからなかったので、山手線沿いの比較的に安い、大塚に住んでいました。一人で歩くには怖い所でしたが(笑い)。

 19歳の姉は銀座のお高い飲食店にほぼ毎日、出稼ぎに行ってくれました。私は毎日レッスンの日々で、あと何か月か先には劇場公演デビューが決まっていました。中学校も編入先が決まり、とても寛大な先生で、仕事に対しても理解してくださってました。

 朝は早く夜は遅くの生活が続き、ご飯を作ることも面倒なので、近くのファミレスにほぼ毎日行っていた気がします。学校は給食で助かりましたね(笑い)。

 姉とは忙しいながらもよく話すようになり、自主練する私をバカにしながらも応援してくれました。寝坊しそうになるとお互いに起こし合ったり、お風呂も一緒に入る仲に。良き理解者で、オシャレや美容にもうるさかったので、姉のおかげで自分を磨くことには困りませんでした。

 私が芸能活動をしていくにつれ、姉にもすてきな夢ができましたが、その夢の手助けをしたいですし、いつか姉妹で一つの作品を作りたいなぁと思っています。

 とりあえずこの連載、叔母が見てませんよーに(苦笑い)。手のひら返したように、今では叔母も私の活躍を喜んでくれています(笑い)。



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