プロフィール
須山浩継(すやまひろつぐ)
1963年広島県出身。大学卒業後、5年間のサラリーマン生活の後に「趣味で食えたらラッキー」と、プロレス&格闘技を主に取材対象とするフリーライターに。 プロレスに関してはもっぱらインディー系と女子が専門分野で、メジャー団体や選手の取材経験は非常に少ない特殊マスコミ。 現在はサムライTVの怪番組「インディーのお仕事」の企画構成、大日本プロレス中継の解説などを担当。




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空前絶後のプロレス団体、全日本女子プロレス⑥目黒女子プロレス砦(後編)
2011年06月06日

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前々回で思わせぶりな前ふりをしたにもかかわらず、前回は全女の来るものは拒まずぶりを書いているうちに、結局は本題に到達することができず、まことに申し訳ありませんでした。というか、私が全女事務所で体験した信じられない出来事は、前回で書いたような相手を選ばぬエブリバディ・ウェルカムぶりを頭に置いておかないと、たぶんご理解頂けないと思うのです。

さて、言い訳と前置きはこれくらいにしておいて、本題に入ることにしましょう。

あれは全女が解散する2年ほど前のことでした。その日、私は午後から全女事務所の会長室で、松永高司会長のインタビューをしていました。その日の全女は群馬だったか栃木だったか、とにかくバスで日帰りできる地方都市での興行が行われ、私が事務所に行った時には、スタッフや選手が出発の準備で慌ただしく動き回っており、会長室の扉を隔ててもその気配は伝わってきました。

松永会長のインタビューを終えて部屋を出ると事務所は無人。どうやら選手もスタッフも興行の開催地に出発してしまったようです。当然のように事務所をお邪魔しようとしていた私の背後から、松永会長が声をかけてきました。

「わたしはちょっと出かけてくるんで、ゆっくりして行ってください」

そう言って会長はセカンドバックを片手に、私を追い越して事務所を出て行きました。当時の全女の状況を考えると金策だったのかもしれませんが、飄々とした会長の様子からはそんな気配は感じられませんでした。そんな会長の後ろ姿を見送った後にふと周りを見渡すと、事務所の中にいるのは私1人です。

いくら顔見知りとはいえ、普通は外部の人間を1人残して事務所を空けるはずがありません。当然、誰かしら留守番のスタッフなり練習生なりがいて、すぐに帰ってくるのだと思い、しばらく事務所の中で待っていたのですが待てど暮らせど誰も戻ってきません。どうしたものかと思い、何人かのスタッフの携帯に電話をかけてみましたが、興行前の忙しい時間だったこともあってか誰も出ません。

そのうち1時間以上が過ぎてしまいました。たしか2月か3月だったので、そのうち日が傾いてあたりは暗くなってきます。何度も帰ろうかと思いましたが、当然のように私は事務所のカギを持っていません。私がいなくなってしまうと事務所はカギもかかっていない状態で無人になってしまうのです。

さらに1時間ばかり待っていたのですが、やはり誰も戻ってきません。とうとう日も暮れてしまいました。夜中になれば興行を終えた選手やスタッフが戻ってくるでしょうが、さすがにそれまで待っている気にはなれません。結局、あれやこれやで3時間以上一人で留守番をした私は、電気を消して火の元だけをチェックして全女事務所を後にしました。後日、その日のことを話したところ松永会長はこうおっしゃったものです。

「ありゃ、誰もいなかったんだ。3時間以上もいたんですか?かまわずに帰っちゃえば良かったんですよ。どうせ事務所には盗まれるような金も物もないんだから」

後日、フジテレビで全女の実況をしていた志生野温夫さんにこの話をしたところ、「私も午前中に用事があって事務所に行ったら、カギが開いているのに誰もいなくて、2時間ばかり留守番したことがありましたよ」と笑っていました。もしかしたら私や志生野さん以外にも、同じように心ならずも全女事務所の留守番をすることになった人が結構いるのかもしれません。

無人になっていた事務所で何時間も一人で留守番をしたなんて経験は、当然のようにあの時が最初で最後です。しかしながら、全女という団体の社是でもあった「来るものは拒まず」精神を、身をもって思い知ることとなったあの日の出来事は、極めて貴重な体験だったと思っています。



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