プロフィール
須山浩継(すやまひろつぐ)
1963年広島県出身。大学卒業後、5年間のサラリーマン生活の後に「趣味で食えたらラッキー」と、プロレス&格闘技を主に取材対象とするフリーライターに。 プロレスに関してはもっぱらインディー系と女子が専門分野で、メジャー団体や選手の取材経験は非常に少ない特殊マスコミ。 現在はサムライTVの怪番組「インディーのお仕事」の企画構成、大日本プロレス中継の解説などを担当。




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空前絶後のプロレス団体、全日本女子プロレス④目黒女子プロレス砦(中編)
2011年05月26日

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目黒にあった全日本女子プロレス社屋全体を包んでいた、独自の居心地良さの源が何であったかと考えてみると、「来るものは拒まず」という松永高司会長の大らかさによるところが大きかったように思えます。

たとえばレフェリー、リングアナ、事務、広報といった仕事をしていたスタッフ。全女は地上波テレビでも中継があった知名度の高い団体ですし、プロレスという特殊な業種の会社です。当然のようにプロレス業界未経験者にとっては、とても敷居の高い職場のように思えます。ところが実際に話を聞いてみると、次のようなパターンで採用に至ったパターンが多いのです。

悩みに悩んだ末に決意を固めた全女への就職希望者は、ある人は目黒の社屋に、またある人は会場に足を運んで松永会長に直談判を試みます。当然のように多くのスタッフはダメでもともと、当たって砕けろの精神で松永会長に全女への熱い思いをぶつけます。すると多くの場合、松永会長からはこんな答えが返ってきたそうです。

「あ、そう。それじゃいつから来てくれる?」

まさに経営者判断による即決。私が知る限りどんなに経営状態が悪い時でも、少なくとも松永会長に直談判を試みたケースで、採用を断られたケースは稀・・・というか聞いたことがありません。こんな感じの採用ではロクな人材が集まらないような気もしますが、解散して6年以上の月日が流れた現在でも、松永会長が採用したスタッフたちは現在も様々なプロレス団体で活躍しています。

97年に倒産した後に8年近くも活動を継続できたのは、松永会長の人徳や選手たちの奮戦もさることながら、こうして松永会長が一見すると適当極まりない感じで採用した、スタッフたちの献身的な頑張りによるところも大でした。型破りで無茶苦茶な採用方法なのですが、結果として優秀な人材が集まっていたのです。

もちろん選手に関しては来るものは拒まずというワケにはいきません。とりわけブームの際には数千人単位の入門希望者がいたので、全員を練習生として受け入れるのは物理的に無理というものです。ただ、これは私の確信なのですが、松永会長はどんなに体が小さかろうが、運動神経が絶望的に鈍かろうが、全女に入門したいという強い気持ちを持っている女の子は、全員を預かってあげたいと思っていたのではないかと思っています。



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