プロフィール
須山浩継(すやまひろつぐ)
1963年広島県出身。大学卒業後、5年間のサラリーマン生活の後に「趣味で食えたらラッキー」と、プロレス&格闘技を主に取材対象とするフリーライターに。 プロレスに関してはもっぱらインディー系と女子が専門分野で、メジャー団体や選手の取材経験は非常に少ない特殊マスコミ。 現在はサムライTVの怪番組「インディーのお仕事」の企画構成、大日本プロレス中継の解説などを担当。




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空前絶後のプロレス団体、全日本女子プロレス④目黒女子プロレス砦(前編)
2011年05月21日

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プロレスの取材をしていると会見やインタビューで、団体の事務所に行く機会があります。事務所の雰囲気にも団体の個性が出るもので、勢いのある団体はリングの上だけでなく事務所にも活気がありますし、勢いを失った団体の事務所は何となく空気が淀んでいます。さて、我らが全日本女子プロレスの社屋は目黒にあったのですが、今から考えても団体の本拠地としては、まことによくできた建物でした。

建物自体はビューティー・ペアのブームの少し前に建てられ、クラッシュ・ギャルズのブームの際に改築されたのですが、プロレス史上でも珍しい賃貸ではない団体の自己所有物件でした。残念ながら97年に倒産した際に所有権は債権者の手に渡ったのですが、以後は家賃を払いながら2004年まで全女の本拠地として使用されてきました。この社屋が素晴らしかったのは事務所、道場、合宿が一つの建物に収まっていたことです。

このように事務所、道場、合宿が揃った社屋を都内に持っていた団体は、プロレスの歴史を振り返っても意外と少ないのです。というのも事務所と合宿はともかく、練習の際に大きな音が出てしまう上に、リングを設置するためには天井の高さが必要となるプロレスの道場に適した物件は、都内ではなかなか見つけることができないからです。その点、目黒の全女社屋はプロレスを生産するために必要なハードが全て揃っていました。

まず1階が道場と巡業バスや宣伝カーが置かれたガレージ。2階に上がると右手が事務所で左手にはSUN族という、全女直営のレストランがありました。このSUN族はけっこう広かったので、選手のイベントもよく行われていましたし、私たちもインタビューの際にはよく使わせて頂きました。さらに階段を上がった3階が練習生や新人が住んでいた合宿。さすがに若い娘さんが住んでいるスペースなので、私はほとんど3階に上がったことはありませんでした。

当然のように選手も経営者もスタッフも、常にこの社屋で顔を合わせ続けることになります。そういうのが苦手な人間にとっては苦痛かもしれませんが、全女特有の家族的な居心地の良さというのは、全てが揃ったこの社屋で常にみんなが顔を合わせながらプロレスと向かい合い、さらに松永高司会長という、何とも不思議な父親的存在がいたからこそ生まれたものだと思っています。

私もこの全女特有の居心地の良さが大好きで、取材で訪れた際には用事が終わった後にも、ついつい長居してしまうことも少なくありませんでした。そして例のごとく取材を終えた後に、事務所でスタッフと雑談を楽しんでいた私は、1時間後には他の団体では絶対にあり得ない体験をすることになるのです。(次回に続く)



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