【侍ジャパン】「原動力は母ちゃんです」甲斐を育て上げた母の「意地」

2021年08月09日 20時07分

決勝で千賀(左)をリードした甲斐
決勝で千賀(左)をリードした甲斐

【取材のウラ側 現場ノート】どん底から這い上がった男が、悲願の金メダルを胸に抱いた。侍ジャパンの扇の要として、攻守でMVP級の活躍を見せたソフトバンク・甲斐拓也捕手(28)。同じ育成入団で苦楽をともにした千賀滉大投手(28)と、また一つ大きな勲章を手にした。

 2010年10月28日、ドラフト会議。ソフトバンクは支配下5人、育成6人の計11選手を指名した。甲斐は育成6位の〝最下位指名〟だった。「同い年で、同じポジション。山下君が一番上で、拓也が一番下ですからね。それは大変だったでしょうし、よく辛抱したと思います」。見守り続けた母・小百合さん(54)は当時をそう振り返る。

 その年のソフトバンクのドラフト1位は、同じ高校生捕手の山下斐紹(28=現中日)。支配下と育成の「立場の差」は覚悟していた以上に、歴然だった。山下は1年目からコンスタントに二軍戦での出場機会を与えられたが、甲斐がウエスタン戦に初出場したのは2年目に入ってから。三軍が主戦場で、数合わせで三塁を守ったこともあった。日陰の身で過ごした日々は、辛抱の連続だった。希望を見いだせず、1年目と2年目の秋は毎日クビを覚悟。「生きた心地がしなかった」と振り返るように、食事がノドを通らず、心身ともに疲弊した。

 甲斐家は2人兄弟で、小百合さんがタクシー運転手をしながら女手一つで育て上げた。育成時代、小百合さんは何度も大分と寮のある福岡・西戸崎を往復した。「練習休日の前の晩、深夜に迎えに行って。それから家に連れて帰ってご飯を食べさせて。翌日、寮の点呼前に送り届けていましたね」。パンク寸前の息子を励まし続けた。

「人は余裕がなくなると、視野が狭くなる。どんどん迷路に迷い込んじゃうというか。だから、本をよく送ってましたね。野村克也さんの本もそうですし、ビジネス本とかも送ってましたね。野球から少し離れて、自分にはない考え方や解決法、生き方のヒントを教えてくれるんじゃないかなと思って」

 そして、事あるごとに伝え続けた言葉がある。「拓也は拓也。人は人やけんね。目の前のことを精一杯やらんといけんよ。必ず誰かが見てくれちょるけんね」。

 育成入団の宿命とも言える3年間を経て、2013年11月21日に支配下登録。かつて甲斐はこう言っていた。「もう一度『育成からプロを目指せるか』と言われても、もう二度とごめんです」。そして、こう付け加えた。「僕の原動力は母ちゃんです」。

 今年がプロ11年目。経験がモノを言う特殊なポジションでの苦闘は、これからも続く。「育成の時が一番大変だったかというと、そうでもないでしょうね。壁というか悩みというのは、立場が上がれば、その立場に応じてやってきますからね。ずっと大変だと思います」。肝っ玉母ちゃんは達観しているからこそ、国民が沸いた今回の五輪も冷静に見守っていた。

「結果がすべて、紙一重の世界。あの(初戦ドミニカ共和国戦9回の)同点スクイズも決まらなければ…。勝ちと負けで、また全然違う。一つ一つのプレーで逆の目が出ていたらと想像するとですね…」。ゲームセットまで気が休まらないのはいつものことだ。世の中はSNS時代。新たな悩みに息子を案じる日々がある。

 肝っ玉母ちゃんは、今もハンドルを握る。2017年に開業した個人タクシーのナンバーは、甲斐が2年前まで付けていた背番号と同じ「62」だったが、今年6月からは現在の背番号と同じ「19」となった。「体がしっかり動くうちは、走り続けるつもりです」。働き者で、ド根性という性質は母親譲りだ。

「貧乏をさせましたけど、学校行事もPTAも全部出て、片親の意地で育てました。そういうのを見ちょったから、拓也も強いのかもしれません」

 育成出身捕手の立身出世は続く。

(ソフトバンク担当・福田孝洋)

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