【クローズアップ野球人間】国内唯一の観光に特化した大学・大阪観光大学の硬式野球部に“ノムさんイズム”が注入される。昨秋の近畿学生野球2部秋季リーグを制覇。入れ替え戦で阪南大を下し、創部6年目で1部昇格を果たした。勢いに乗るチームに今年から関西六大学の龍谷大で指揮を執ってきた元ヤクルト投手の山本樹氏(47)が新監督として就任。現役時代に野村克也氏(82)に学んだID野球と“ノムラの考え”を選手に伝え、さらなる飛躍を目指す。新生・大観大を率いる山本監督に抱負を聞いた。
大阪・泉南の緑豊かなグラウンドに元気な声がこだました。ノックを打っているのは1月に就任したばかりの山本監督。野球を楽しめる環境づくりを目指し、笑顔でナインと冗談も交わす。
昨年末に5年間、監督を務めた龍谷大を退任。近畿学生野球の1部昇格を果たし、さらなる飛躍を図りたい大阪観光大学の監督として尽力することになった。名門で大所帯の龍谷大と違ってまだ創部6年目で部員数も60人。リーグも環境もまったく異なるが、山本監督は「龍大では選手とのコミュニケーションが広く浅くなってしまった。1人に対する時間も少なくて、もっと指導したくても160人くらい部員がいたんで行き渡らなかったところもあった。ここではしっかりとやっていきたい」と張り切る。
1部昇格を果たしても山本監督からすればまだまだナインは未熟。「野球は好きだけど、自分はヘタだから、という選手もいる。固定概念を変え、意識改革をしないといけない。それに基本的に技術よりも野球が好きだ、という気持ちが上回らないといけない。技術があっても好きでないと勝負どころで力が出ない。怖さよりも楽しさを教えたい」
指導の根幹にあるのは恩師・野村監督の考えだ。ヤクルト時代に学び、2001年には左のセットアッパーとして日本一の景色を見せてもらった。
「野球を通じた人間形成ですね。キャンプでの野村さんは技術の話はほとんどなく、人生論、組織論が多かった。クオリティーの高い技術を教えてもらえると思っていたのにフタを開けたら違うな、と思ったけど、後になるとわかる。それが財産になる。野球技術よりもあいさつの大切さとか。僕らが野村さんに教えてもらったこと。『ノムラの考え』は今でも読むし、選手に伝えています。人間的成長がなければ技術は伸びない、と私も思います」
2月中は個々の能力を見極め、生活面を見直し、3月の香川キャンプから本格的に意識改革に取り組む考えだ。
精神面だけでなく、データ野球にもぬかりはない。
「野球は確率のスポーツ。70%の可能性があるなら10回やれば7回はできる。それを崩すことなく、確率の高い方を選択していく。1部リーグでまだ対等に戦えるとは思っていない。まず相手を知ること。データ班を作って分析し、戦力的に相手が上回っているなら、弱点に徹底的に集中攻撃をかけないと勝てない。すかしたり、かわしたり、猫だまし的な戦法や心理合戦も入ってくる」と言うからまさに“弱者が強者に勝つ”野村野球の実践だ。
さらに「ボヤキじゃないけど、気づいたこと、感じたことは試合中も表現したい。なぜここでこういう采配をしたのか、投手交代したのか、とか。監督ならこうするな、という予測のうえでプレーしてほしい。後で言うんじゃなく、試合中にも選手に私の意図を伝えていきたい」とベンチでも“ノムさん流”指導を考えている。
練習の現場には心強い援軍もいる。一昨年3月から野球部の特別アドバイザーを務め、打撃指導に当たる“名伯楽”伊勢孝夫氏(本紙評論家)だ。「打撃に関しては専門の伊勢さんに丸投げですよ。僕は打撃は素人。社会の先生が英語を教えるというのはマイナスですから」。ヤクルト時代にコーチと選手の立場で出会い、今も信頼関係は盤石。“観光球児”が春季リーグから旋風を巻き起こす。
☆やまもと・たつき=1970年8月31日、岡山県倉敷市出身。玉野光南高から龍谷大に進学。92年のドラフト4位でヤクルトに入団。先発、中継ぎとして活躍し、2001年にはセットアッパーとして61試合に登板。リーグ優勝、日本一に貢献した。05年に引退。08年から母校の龍谷大でコーチを務め、12年末に監督に就任した。2年目の14年の関西六大学春季リーグで優勝を果たし、全日本大学選手権に出場。17年11月に退任した。