巨人キャンプ「今昔物語」

2018年02月25日 16時30分

宮崎キャンプ休日、名物釜揚げうどんに舌鼓を打つ長嶋氏

【越智正典 ネット裏】川上哲治、千葉茂ら巨人第二期黄金時代の明石キャンプの宿、大手旅館は、強者たちが練習に出発する朝、練習が終わって帰って来てから夜おそくまでそれは賑やかだった。

「ねえさん、お茶ッ」

「おねーさん、タバコ!」

 彼らは部屋から帳場に電話などかけない。部屋で叫ぶ。

 お手伝いさんが「ハーイ」。

「ハーイ、只今!」

 その頃、二軍のための練習時間は設けられていない。彼らは日が暮れかかるまでお手伝いさんだった。片付けとグラウンド整備。名三塁手宇野光雄は打撃練習の間をぬって四股を踏んでいる。監督水原茂が三塁ノックを打ち込むと「さあー来い。オミズの下手っピー!」。

 1949年、巨人軍第二回公募合格選手、校名が長野県立小県農業高から小県東部高校の岩下守道は、信越本線田中駅前での全校生徒のストームに送られて碓氷峠を越えひとまず多摩川寮に向かい、入寮してから明石へ。その頃、二軍の練習時間は設けられていない。終日、一軍のお手伝いさん。「先輩が練習を始める前にオレたちだけで練習しよう」。52年に入団する逗子開成の捕手、棟居進も早朝組だった。岩下は宿をはやく飛び出そうと、夜ユニホームを着て眠った。

 宿の目の前の踏み切りを渡ると、明石公園入口。が、この踏み切りが開かずの踏み切りだった。彼らは黙って開くのを待っていなかった。遮断機の前で腿あげ。

「イチ、ニッ、サン、シィー」

「イチ、ニッ、サン、シィー」。健気な青春の名セリフと言えた。

 58年、長嶋茂雄が明石でキャンプ第一日を迎えたのは2月17日である。前夜、監督水原は、松商学園から54年に入団していた投手、堀内庄を呼んだ。堀内は57年、水原に連れられて、捕手藤尾茂とともにドジャースのキャンプに。巨人軍ベロビーチキャンプ第1号選手である。長身から投げ下ろすストレートは見事であったし、ドロップは華麗であった。

「長嶋にバッティング練習をさせるが、いくらか騒がれていたって、プロ野球じゃあー、赤ん坊だ。庄よ、庄が本気で投げたら打てやしない。そっと投げて打たせてやれ!」。ニクイ親爺である。

 堀内庄はその後、益々勇んだ。特に翌59年北海道シリーズの函館で投げたときは、藤尾が捕れなかった。速かったあー。

 もう、オープン戦が始まるが、ことしは巨人宮崎キャンプ60周年である。それまで近鉄のキャンプ地であった宮崎に巨人が入ったのは、王貞治第1年の59年からである。

 宿舎は宮崎観光ホテル。夜になると、この年北海道・北見北斗高から入団した投手、黒田能弘が、当時二軍宿舎だった江南荘の宿の下駄をカランコロンと鳴らして、天井が高い吹き抜けのロビーに毎晩やって来た。彼の一軍観光である。

「オバンです!」。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

関連タグ: