【Gの裏方は見た!(3)】巨人で16年間打撃投手を務めた岸川登俊氏がスター選手の知られざる姿を振り返る「Gの裏方は見た!」。3回目の今回は、盟主を率いて勝負のシーズンに臨む高橋由伸監督(42)だ。現役時代は“天才打者”と呼ばれた指揮官だが、岸川氏が見てきたのは汗と泥にまみれた横顔。プリンスの知られざる努力の軌跡を振り返る。

 由伸監督とは本当に濃密な時間を過ごさせてもらいました。16年の打撃投手人生で、最も印象に残る選手が彼です。

 監督との距離が縮まったのは、私が小久保の練習相手を務めていた2004年ぐらいからでした。今でこそキャンプの練習時間も長くなりましたが、当時の巨人は午後3時にはほとんどの選手が宿舎へ引き揚げていました。

 ただ監督と小久保だけは、日が暮れるまで毎日黙々とティー打撃をやっていましたね。宿舎へ戻るのが夜の8時近くになることもザラ。正直、私は「ここまでやるか」とうんざりするほどでしたが、まさにあの2人は「練習の虫」です。監督になった今も厳しい練習を課していますが、彼が“数”にこだわる原点はこのころにあると思います。

 監督の個人練習パートナーを任されるようになったのは、彼が腰痛に苦しんでいた08年ころからだったと思います。09年に手術してからも練習量は半端なかったですね。東京ドームで試合のある日は全体練習前に室内練習場に2人でこもるのですが、監督が自分で考えた練習のバリエーションが、初めのころは10種類近く。試合前に疲れてしまっては本末転倒ですから徐々に絞り、選手晩年には5種類に落ち着きました。

 ここで初めて明かしますが、彼の練習方法は独特です。順番は(1)横方向からのティー打撃→(2)重いトレーニング球を使ったティー打撃→(3)前さばきのティー打撃→(4)ワンバン打ち→(5)斜め方向からのロングティー打撃、という流れ。1ケース(約120球)で終わるように調整していました。

 なかでも彼オリジナルだったのが、斜め方向からのロングティー打撃。打者から右側、5メートルほど離れた距離からの緩い球を、左中間方向へはじき返すのです。ただし距離があるだけに、下手から狙いを定めて投げるのは大変。あるとき私はイップスになってしまい、上手から投げるように変えて対応しました。練習の意図は「右肩の開きを抑えて逆方向へ力強い打球を飛ばす」ためです。

 その練習の中で大事にしていたのが音。松井が長嶋監督との素振り練習で空気を切る音を確かめていたのは有名な話ですが、監督と私の間で求めたのは打球音です。肩が少しでも開くと決して良い音はしません。「今のは“薄い”ね」などと言い合いながら、破裂するような“厚い音”を2人で目指しました。

 現役に別れを告げた後、監督として初めての宮崎秋季キャンプで“引退式”をしました。休養日に室内練習場にこもり、現役時代に続けた練習をひと通りやっただけ。でも、ジーンときましたね。昨年限りで私の退団が決まり、秋季キャンプ最終日には監督が打席に立ってくれました。打撃投手の仕事に未練がないわけではありませんでしたが、最後の打者が彼でよかったと今は思います。

 監督になってからの彼は「結果」という言葉をよく使います。それも、これだけ「過程」を大事にしてきた選手だったからこそ言えるのです。細かい指図はしませんが「プロは結果がすべて。でも、そのために何をすべきか」を選手たちに問いかけているのでしょう。今年のキャンプでも、若い選手に数をこなさせるなかで、自分に合う“型”を確立してほしいと考えているんじゃないかな。

 由伸監督は自分やチームのことも冷静に分析できるから、言葉が“人ごと”に聞こえてしまうことがあります。感情も表に出そうとしません。でも、心は誰より熱い。今となっては「頑張れ!」としか言えませんが、選手のみんなには、どうか監督を男にしてやってほしいと願っています。

☆きしかわ・たかとし=1970年1月30日生まれ、東京都大田区出身。左投げ左打ち。安田学園高―東京ガスを経て94年ドラフト6位でロッテ入団。その後はトレードで中日、オリックスと渡り歩き、2001年引退。プロ通算成績は87試合に登板し0勝4敗。02年に打撃投手として巨人入りしてからは高橋由伸、小久保裕紀、村田修一、長野久義ら主力打者の練習相手を16年間にわたり務めたが、17年限りで定年により退団。