ウエストパームビーチでコーチの奥さんにおみやげを買ってあげる星野の気遣い

2018年02月03日 16時30分

ベロビーチでのウエルカムパーティーでダンスを踊る星野氏(1988年)

【越智正典 ネット裏】1988年星野中日は一軍が沖縄石川、二軍が具志川球場にキャンプインした。ナインは巨人以外は行ったことがないベロビーチ行きに湧き立っていた。コーチ兼監督付早川実が、右翼手ゲーリーに地上スレスレの打球を打ち込むとき名セリフを吐いた。「突っ込め! ワンオアエイト」。なんのことかと思ったら「一か八か」だった。大受けに受けた。

 2月9日、具志川市教育委員会主催の講演会。講演を頼まれた星野は本土復帰記念会館のステージにスラックス、セーターで現れた。

「こんな格好で来ました。背広ネクタイでないと失礼に当たると思いましたが、普段着でやって来ましたのは皆さんと友だちになりたいからです。ちいさいご縁を大切にして行くことから運が開けると思っています。よろしくお願いいたします」。指笛が鳴り止まなかった。

 ナインは2月16日、ドジャータウンに着いた。元米海軍航空隊の搭乗員養成基地で820万平方メートル。リスが一行を出迎えた。

 2月27日、星野は衝撃を受けた。案内役のアイク生原に同地での生活について30分ほど話をして欲しいと頼んだのが、何をカン違いしたのか、生原は「星野監督の練習はきびし過ぎませんか。賛成して頂ければ加藤オーナーに伝えます」。1時間20分にも及んだ。星野は翌々日の休日にウエストパームビーチで、彼の指示で猛練習を実施して来たコーチの奥さんへみやげを買い、夜、早川に部屋部屋に届けさせた。オシャレなハンドバッグであった。

 帰国後、星野は多忙ななかでよく人と会った。7月30日、東京目黒のうなぎやで、アイスホッケーの闘将、王子製紙監督、引木孝夫と会った。星野は引木が前の年の日本リーグの西武鉄道戦で第2ピリオド11分にGKをはずして6人攻撃をかけたことについて訊いた。普通、シックスメンアタックは第3ピリオドの残りわずかで追うチームが敢行するものだが、引木が「あれは作戦ではありません。勝つんだ!と選手に決意を伝えたんです」。星野は唸った。

 巨人と激戦が続いた。5月31日、6月1日と後楽園球場で連敗。6月2日も敗れ、3連敗。星野はこの試合に、両ヒザを手術、二軍から上がって来た仁村徹(弟)を代打で起用したが三振。しかし星野は宿舎サテライトホテルに戻ると激賞した。

「セに彼ほど踏み込んで打つヤツがおるか!」

 チーフマネ、木田威志が気遣って手配した、大好きなソース焼きそばを食べた。10月7日、星野はナゴヤ球場で優勝を決めた。父仙蔵の命日だった。

 明日はキャンプインという97年、扶沙子夫人が逝った。彼女は下総中山の法華経寺(千葉県市川)に折々に夫の無事を祈願しに行っていた。

 キャンプインした星野はひるになると監督室に鍵を掛け、監督就任の日に辞めていた煙草に火を付け、紫煙をじっと見詰めていた。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

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