67年前…鉄腕・金田正一の入団テスト秘話

2017年12月17日 16時30分

国鉄時代の金田正一(1964年2月)

【越智正典 ネット裏】先週5日の、年に一度の集まりの東京運動記者クラブの総会に出席出来なかった。尊敬する読売の小野陽章先輩や奥行きの深い記事で勉強させて貰ったスポニチの細野能功さんらに挨拶出来なかったのは、なんとも申し訳なかった。日テレの浅見源司郎アナが、報知の田中茂光さんの米寿のお祝いのスピーチを知らせてくれた。浅見は王貞治の三女理沙さんの結婚披露宴の司会を務めたが出過ぎることもなく、来賓を立て澄んだ名司会だった。

「田中さんが金田正一の入団テストの話をされました」。王貞治は田中さんを最も信頼していて、その著『もっと遠くへ』(日本経済新聞出版社、2015年刊)の53頁に氏への感謝を述べているが、私は昔から氏にご指導を頂いている。入団テスト…は知らなかった。びっくりして電話をした。凄い秘話だ。

「テストは中央大の練馬区立野町のグラウンド(当時)でした。球はそれは速かったですが、緊張したのでしょう。あっちに行ったりこっちに行ったり…。井上親一郎捕手(慶応大、米子鉄道局)が大変でした」

「実は国鉄球団の秋田事務局長が書かないという条件でテストがあると耳打ちしてくれたんです」

 秋田は田中の人柄に誠を見たのであろう。

「国鉄スワローズは総裁加賀山之雄の世の中を明るく…という願いから清新なチームを…と2リーグ発足の50年の1月25日にセの最終結団でした。取材に行くと私ひとり。記者さんどうぞと案内されたのは、なんと全国の鉄道管理局から参集した関係者が会議中の部屋で、話は全部聞こえました。おおらかな時代でした」

「(金田の)享栄商業が練習していた名古屋の八事球場は国鉄の球場で球場職員は国鉄マン。新球団の西垣徳雄監督に享栄に凄いピッチャーがいると報告されていました。西垣さんは関西、中国遠征のときにはお忍びで名古屋で下車。金田を見ていました。甲子園めざす愛知大会で負けたら獲って、近い将来のエースにと決めていたんです。中央大グラウンドでのテストは国鉄の偉いさんやチームづくりに協力している関係者へのお披露目でした。50年の8月はじめのことでした。球団は名古屋の関係者に悪いのでその日のうちに金田を帰しました」

 金田は準決勝で一宮に敗れ、8月23日、愛媛県松山での広島11回戦にデビュー。5対6。秋になってから“風のたよりだがな、国鉄に凄い新人が現れたそうだ”と巨人関係者から聞いた。まだ情報時代ではない。

 電話のむこうで田中さんがたのしそうだった。

「金田は初任給でソフト帽を買ったんですよ。かぶって見せてから“これで少しは大人に見えるでしょう”」

 それにしても秋田への信義を67年も守り抜いた田中茂光さんに私は改めて敬献の思いである。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)