2年ぶり8度目の日本一に輝いたソフトバンクで、チームをけん引したのはクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第5戦で電撃復帰を果たし、日本シリーズでも新リードオフマンとして活躍。優秀選手に輝いた柳田悠岐外野手(29)だ。9月20日に右脇腹を痛めたが、1か月で奇跡的な回復。その裏に隠された苦悩と秘話、緊急昇格の舞台裏、そしてメジャーへの思いまで、赤裸々につづった独占手記をお届けする。

 ホークスファンの皆さん、日本一、おめでとうございます。去年の悔しいV逸からずっとこの瞬間のために、昨秋キャンプから必死に練習してきたので「やったったぞ!」という達成感でいっぱいです。日本全国の鷹党と一緒にこの喜びを分かち合えて幸せです。

 この1か月は本当に驚きの連続でした。皆さんも驚かれたと思いますが、何といっても楽天とのCSファイナルステージ第5戦での電撃復帰です。経緯を振り返ると、9月20日の日本ハム戦で右脇腹を痛めてから20日間くらい、僕は一切、野球の練習ができませんでした。負傷して最初の4日間は痛くて眠れなかったし、ずっと高圧酸素の部屋に缶詰め状態で酸素マスクをはめている状態。激痛で横になることすらできず、座ったままの状態で腕を組んで寝る生活。本当に苦しかったです。

 野球ができないストレスとも闘いながら、ようやく10月7日にジョギングを開始。16日から去年、右手薬指を骨折した際にお世話になった整体師さんのところに通い始めて、驚くように状態が上がっていきました。いわゆる「神の手」との再会ですね。整体師さんに面と向かって「治せるの? 今回はうさんくさいっすね」と言って通ったんですが、整体師さんの「治せばいいんでしょ!」の言葉通り、効果テキメンでした。「ゴッドハンド」にごめんなさい、ありがとうです。

 20日にフリー打撃を再開して、翌21日の昼過ぎに“仰天コール”が鳴ります。着信は工藤監督から。状態を聞かれたので「昨日より打球が飛ぶようになりました」と経過報告したら「明日から来い」と。衝撃的な電話でしたね。家族には常に心配をかけたくないと思っているので、家では野球の話はしないんですが、その日ばかりは帰宅してから妻に「俺、呼ばれたんやけど、試合とか無理だよな?」って本音を漏らしました。妻は「野球やってる時の方がイキイキしているよ」って、懸命に背中を押してくれましたが…不安いっぱいでした。正直「こんな状態で監督もよう使うわ」と首をひねりながらも「監督、勝負に出たな」とも思いました。

 でも、復帰してからは自分でもビックリのパフォーマンス。監督の勝負運すげぇなって思いましたね。日本シリーズは妻が娘を連れて応援に来てくれました。もうすぐ2歳になる娘は、僕が野球をやっていることを分かっているみたいで、ユニホーム姿の僕を見つけて「パパ」と呼んでくれます。たまに(球団マスコットの)ハリーホークにも「パパ」と言うそうですが…。娘の存在が僕を強くしてくれたと思っています。

 活躍できた要因には、いい意味で“無責任”になれたというのもあると思います。「できるわけがない。さすがに今回は俺に責任はないでしょ」って開き直れたのがよかった。本当のところ、右脇腹は今も完璧ではありませんが、最後の最後で何とか間に合って日本一に貢献できたことは本当にうれしかったです。

 来年、僕は節目の30歳を迎えます。最近はメジャーについての話題を振られることも多くなりました。包み隠さず本音を言うと、メジャーへの憧れはあります。メジャーでやってみたいという気持ちもあります。ただ、それはあくまで気持ちであって、できるかどうかは別の話です。正直、いまアメリカに行って通用するとも思いません。

 僕は「人の人生というのは決まっているもの」という考え方です。だから僕がホークスに入団したことも、これからの野球人生も、基本的には「レール」が敷かれている。その流れに身を任せるだけです。

 今は「選手の権利」として国内FAや海外FAがあります。僕がその権利を取得した時に注目されるとしたら、それは僕がホークスに入団して、その資格を得るに値する成績を残した時だと思います。

 ファンの皆さんの間では、僕の将来について興味、関心を持っていただいていますが、ホークスから先のレールは僕にも分かりません。すべては今後ホークスで僕が何を残すか…なので。

 これからどういう野球人生を歩むにしても、それは僕が福岡ソフトバンクホークスと縁あって入団し、ここで「毎日100%の自分を出し切る」という思いでやってきた答え。それは自分でも楽しみにしています。(福岡ソフトバンクホークス外野手)