球界初の“お笑い芸人”転身・福井敬治さん ゼロから「野球塾」設立 プロ指導者の夢も!

2017年06月25日 11時00分

現在は野球塾で子供たちを指導している福井さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】今からおよそ10年前、プロ野球界から初となる“お笑い芸人”に転身した元選手がいた。巨人、広島、さらには「欽ちゃん球団」として有名な茨城ゴールデンゴールズでプレーした福井敬治さん(41)である。

 

「お笑いのほうは、もう辞めましたけどね。でも、あの世界を経験できたことは今でも本当に良かったと思っていますよ」

 

 懐かしそうに当時を振り返る福井さん。笑顔やしぐさは今も現役時代と変わらない。

 

 1994年のドラフト3位で智弁学園高から巨人入り。2000年に一軍初出場後は、持ち前の明るさと勝負強い打撃で活躍した。原辰徳氏(現野球評論家)の監督就任1年目だった02年にはチームの日本一に貢献。05年に移籍した広島でも73試合に出場し、打率2割8分7厘と好成績を挙げた。そんな選手が球界とかけ離れた世界に飛び込んだのは、偶然の産物だった。

 

「たまたま知人に欽ちゃんの知り合いがいまして。引退後に『一度会ってみれば』と言われ、07年1月に欽ちゃん球団の試合が福岡であると聞き、会いに行きました。そしたら、その日に即入団が決まりましてね(笑い)。もともと巨人時代から明るい性格が取りえでしたし、福岡からの帰りの飛行機では欽ちゃんの隣の席になり、その場でいろいろなお話も聞くことができましたから。野球が続けられるわけですし『一度やってみよう』と思ったわけです」

 

 地元企業とのタイアップもあり、芸名「シーケル福井」としての新たな船出。実際に仕事を始めてみると、人を笑顔にさせる「楽しさ」を感じる半面、野球とお笑いの両立は想像以上に難しいことを痛感したという。

 

「芸人さんと違って僕は元野球選手ですから野球ネタが鉄板。自分が経験したことを舞台などで面白おかしく話すのは本当に楽しかった。でも、お笑い界は、やはり厳しい世界。長くは続けられないなとすぐに感じました。それに所属したゴールデンゴールズは茨城のチーム。僕は自宅が東京なので通勤が大変で。休日の月曜以外は、毎日片道2時間以上かけて車で練習に通う日々。腰に持病を抱えていたこともあり、10年シーズンを最後に新たな道に進もうと決意しました」

 

 お笑い界を離れて「自分に何ができるのか」と模索を続けた12年1月。新たに始めたのが野球塾「KIDS ベースボールスクール」の設立だった。事業経営、営業活動などの経験は皆無。球場探しからチラシ配りなどの部員勧誘、ホームページ作成などを一人でこなすゼロからのスタートだった。「お笑いの道に飛び込んだ時と一緒で、とにかくまずは挑戦してみようと。大好きな野球に携われるわけですから」

 

 神奈川・川崎で産声を上げたスクールの部員は当初わずか8人だった。それが今では地道な努力のかいもあり厚木、品川、春日部など関東5か所で指導するまでに拡大。並行して巨人時代の同僚だった小野剛氏が代表を務める強豪クラブ「狭山西武ボーイズ」の監督としてチームの指揮を執る。平日の週2日は、横浜市で不動産業を営む「株式会社カムエンタープライズ」の営業マンとして奔走する顔も持ち合わせる。1か月の休みはほぼ「ゼロ」だが、表情には充実感が漂う。

 

「小学4年の娘、小学1年の息子ら家族を犠牲にしながらの活動なので、その辺は申し訳ない気持ちです。ただ、将来的に高校野球の監督をやりたいし、自分が携わる野球塾やチームから出た子供たちが活躍してくれるのはうれしい。これからも、そのやりがいを胸に頑張っていきたい。もちろん、声がかかればプロの指導者もやってみたい。古巣の巨人は今年、元気がないので、僕みたいな明るい性格の人間が入ればチームが変わると思いますしね」

 

 厳しさの中にも明るさを忘れない福井さんの挑戦は続く。

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