【検証巨人軍 盟主は復活できるか(1)】連敗の球団ワースト記録を更新し、低迷の責任を取る形でシーズン中のGM交代劇が起きるなど、巨人が揺れている。世代交代の過渡期の真っ最中でもある巨人は、この窮地をどう脱出していけばいいのか。本紙連載「赤ペン!」でおなじみ、巨人取材歴29年の大ベテラン記者・赤坂英一氏が全4回にわたって検証する。

 巨人では史上初のOBからGMに就任した鹿取GM、果たして低迷する盟主を立て直せるのか。鹿取GMが選手やコーチだった昔と比べて、巨人はどこがどのように変わったのだろうか。今回の“非常事態人事”を機に改めて検証してみたい。

 まず、いささか泥縄式にGMとなった鹿取義隆とはどのような人物なのか。GM就任が決まった13日は、東京ドームへ駆けつけると、役員室で観戦中の巨人・長嶋終身名誉監督、ソフトバンク・王球団会長に丁重にあいさつをしていた。実直で律義できちょうめんな性格なのだ。

 王会長は巨人監督時代、リリーフ投手だった鹿取を最も重用していたことで知られる。リーグ最多の63試合に登板させた1987年には「ピッチャー鹿取」「鹿取大明神」が流行語にもなったほど。その王会長が日本代表監督を務めた2006年の第1回WBCでも、鹿取GMは投手コーチとして世界一に貢献した。

 王会長が振り返る。

「鹿取は現役時代もよく投げてくれたけど、情報収集とか戦力分析とか、そういうことをしっかりやるんだよ。外国の対戦相手について、誰も見たことのないようなデータを持ってくる。今でも、侍ジャパンのアンダーの若い選手とか、そういうことにも詳しいんだろ。そういう能力を生かせばいいんじゃないかな」

 その半面、頑固で一本気な面もある。監督が王から藤田元司に代わった89年、登板機会が激減すると多摩川グラウンドで藤田監督にトレードを直訴。われわれ記者たちの見守る中、腕組みしたまま、延々と直談判していた。

 この努力が実り、西武に移籍した翌90年には27セーブポイントを挙げてセーブ王のタイトルを獲得。鹿取GMは根性の男でもあるのだ。

 長嶋監督時代の98年に二軍投手コーチとして巨人に復帰すると、今度はコーチ会議にパソコンを持ち込んで周囲を驚かせた。「これで投球フォームの動作解析をするんです」と説明された高田二軍監督(現DeNA・GM)など「オレにはついていけない」と目を白黒。このように進取の気性に富んだ面もある。

 一軍コーチの2000年には宮崎キャンプで宮田一・二軍投手統括コーチと衝突。私に向かって「宮田さんの考えは古いよ。おれにはおれのやり方がある」と熱く語っていた姿も忘れられない。この年は日本一に貢献しながら、自分の役目は終えたとして、自ら退団。そういう潔い信念の人でもあった。

 さて、そんな鹿取GMの下で若手が育つようになるのかどうか。本当の問題、かつファンの心配のタネはそこにある。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大学卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。「すごい!広島カープ」(PHP文庫)が2万部突破。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。今夏、新作刊行予定。