【取材のウラ側 現場ノート】11日(日本時間12日)に日米通算2000安打を達成したアストロズ・青木宣親外野手(35)には、ヤクルト担当記者時代から大変お世話になった。なかでも印象に残っているのは、早大時代の話だ。

 宮崎県立日向高校で投手として活躍。卒業後、早大に指定校推薦で進学し野球部に入ったが、早々に投手をあきらめて外野手に転向している。一般的には肩を故障したため…と言われているが、実はそれが最大の原因ではなかった。野村徹氏が監督として率いていた早大野球部は、とにかく投手の走り込みを徹底していた。青木が「野球部に入ってすぐ、投手の人たちがひたすら走られているのを見ました。もう、一日中走ってました。グラウンドをずーっと走ってました」というから相当なのだろう。

 それが投手を辞めた原因だった。青木は「ボク、走るの嫌いなんですよ。だから、先輩が走っているのを見て“うわ、無理だ”って思って投手を辞めました。ケガ? あんま関係ない」と打ち明けてくれた。もしも青木が走り込みが好きだったら…。もしも早大野球部の投手に走り込みがそこまで課せられていなかったら…。日米を股にかけた天才打者の誕生はなかったことになる。

 独特の感性を持つ打撃理論の話も興味深かった。その一つが「“そ”の字打法」だ。2011年のある日、青木は「絶好調の時、構えがひらがなの“そ”みたいになる。“そ”の時は絶好調なんですよ」と、真剣なまなざしで話してくれた。世界中でひらがなを参考にした打者が、かつていただろうか? なおこの年、青木は2005年以降で初めて打率が3割を下回った。

 そんな青木には、謝りたいことがある。私は青木が渡米後、数回国際電話をかけて取材をしているのだが、その際、青木当人のことはまったく取材せず、別件の話題についてコメントをもらい、青木の話を「メジャー関係者」として紙面に掲載。日米通算2000安打を打つような偉大な人を、単なる「関係者」として扱ってしまった。この場を借りて謝罪します。すみませんでした!(2006~11年ヤクルト担当・前田聡)