【越智正典「ネット裏」】31日、プロ野球開幕。ファンには選手のサインがたのしい季節である。長嶋茂雄が入団する前年の1957年まで一軍に上がった巨人の若い選手は母校の先生や友だちにサインを頼まれると大変だった。

 困った。取り決めがあったわけではないが、一人書きが出来なかった。まず監督に一筆して貰わなければならない。それから当時なら川上哲治、千葉茂。精神的な序列があるチームは強い。遠征先で主力選手が卓を囲んでいることもある。書いて貰い終えるまで何日もかかった。

 こうして、寄せ書きの色紙の余白を探し自分のサインをちいさくした…。が、58年、長嶋が入団すると“注文”が球団にも殺到した。寄せ書きなどしていられない。長嶋はのちのサインより字を崩して、しかし、勢いよく書いた。この一気書きは兜町で大受けになった。

「伊勢エビが踊っているようだ。エンギがいいぞ。株価がハネ上がるぞ!」

 翌59年巨人に入団した王貞治は丸子橋のたもとの多摩川寮に入寮した。ボブ・コンシダインの「ベーブ・ルース物語」によると、ルースがボルティモアのマイナーリーグ球団に入ったとき、契約金は600ドル。世界じゅうの富を貰ったような思いだったという。初めての給料日には「少年時代、明けても暮れてもどうか授かりますようにと、祈っていた自転車を買った」。

 王は給料袋をそっくりそのままおかあさんに渡し、おかあさんから改めて寮費と小づかいで3万円を貰った。部屋は1階、玄関を入ってすぐの、多摩川の土堤下の道に面している。少年たちが「サインしてえー」。もう寄せ書き時代は終わっている。王は窓を開けサインをし、少年たちを名セリフで見送った。

「宿題、忘れんなよー」

 知ってのとおり、王は新人時代から字を崩さないでサインをしているが、後年は若い人には「努力」、年輩のファンには「気力」と添え書きをしている。

 76年10月10日、ベーブ・ルースの通算本塁打714に並び翌11日、715号を放って世紀の本塁打王の記録を抜いた。

 77年5月16日、巨人ナインが翌日から始まる北陸シリーズ第1戦の富山の宿に着いたのは深夜で午前さまに近かった。名古屋から移動の途中列車事故に遭ったのだ。だが「サインをお願いします」。部屋に色紙が持ち込まれた。500枚。張本勲が心配した。

「ワンちゃん、疲れたろ」。事実第3戦の福井で2併殺打。「オレがことわってくるよ」

 が、王はいうのであった。「ハリ、ありがとう。でも、このくらいのサインが出来ないようではタイトルは取れないよ。書くよ」

 9月3日、王はハンク・アーロンの大記録を超える、756号を後楽園球場でのヤクルト戦で放った。9月5日、王に初の国民栄誉賞が贈られた。その晩、新宿の王家の神棚には灯明がいつまでも灯っていた。 =敬称略=

 (スポーツジャーナリスト)