リスク恐れない小久保采配の原点は…

2017年03月21日 16時30分

イチロー(左)と並ぶ小久保(1995年11月の「パ・リーグオールスター東西対抗」)

【赤坂英一 赤ペン!!】WBCでつくづく感心させられるのは、小久保監督の“打たれ強さ”である。6戦全勝で準決勝進出を決めたとはいえ、ここまで采配ミスがなかったわけではない。とりわけオランダ戦の9回に則本を投入、一度は同点に追いつかれてしまったとき、誰もが一昨年11月のプレミア12の“悪夢”を思い出したはずだ。

 

 あの準決勝・韓国戦では、3―0とリードしていた9回に小久保監督が継投ミスを犯し、瞬く間に4点を失ってまさかの逆転負け。ファンやマスコミにはもちろん、球界でも手厳しく批判され、退任論も噴出した。今回も強化試合で2勝3敗と負け越し「2次ラウンドで敗退もあり得る」「米国には行けないのではないか」という悲観的な見方さえあった。

 

 そんな下馬評を覆して勝ち進んでいる間、小久保監督は泰然自若とした態度を崩さず。試合後の会見で痛いところを突かれても無表情を装い、常に当たり障りのない発言を繰り返しては報道陣をけむに巻いている。初めての監督で、しかも日の丸を背負いながら、かくも動じない態度を貫けるのも一つの才能だろう。

 

 振り返ってみると、小久保の野球人生は、マスコミの矢面にさらされることの連続だった。その最たる例が1998年、プロ野球選手による集団脱税の主犯格として有罪判決を受けた事件。さらに2003年には、ダイエー球団幹部との確執が原因で、巨人に無償トレードで移籍するという大騒動の主役にもなった。

 

 当時は小久保の会見が開かれるたびに何度も足を運んで、評論家時代には福岡市内の個人事務所でインタビューしたこともある。誰にでも胸襟を開くタイプではなさそうだったが、変に隠し立てをしたり、取り乱したりすることもなかった。

 

 とりわけ印象的だったのは、オリックス時代のイチローと本塁打王争いをした95年のエピソード。この年は死球が小久保12個、イチロー18個に上った。「それだけぶつけられて、よく踏み込んで打てるな」と言う小久保に、「最初の打席でぶつけられたら、次の打席では2倍踏み込む。そういう姿を味方の選手も見てるんです」とイチローは答えた。「あれには教えられましたね」と小久保は振り返った。

 

 これぞ、リスクを恐れない小久保采配の原点、かどうかは本人に聞いていないので分からない。