髪に霜が降りても素振りを見守った荒川博

2017年01月29日 11時00分

告別式で荒川博氏を見送った王貞治氏(中)

【越智正典「ネット裏」】

 

 12月11日、東京中野宝仙寺、午後2時、荒川博の告別式。斎壇に王貞治家の長女理香、次女理恵、三女理沙からも白菊が捧げられていた。

 

 葬儀委員長を務めた王貞治は、12月4日“師匠”急逝の知らせを聞くと荒川の家に飛んで行った。夫人和子さんをいたわり“これから巨人軍OB会に行って来ます”と、お詫びをして退出。OB会会場の東京ドームホテルに赴き、OB会ではわけを話して途中退席をして荒川家に引き返している…。

 

 王はしみじみ弔辞を述べた。

 

「縁は広さより深さが大切だと、今、思っています。われわれは、いつまでも、どこまでも荒川さんと和子夫人に従っていきます」。特に和子さんを気遣っていた。

 

 王は、わたしは…とは言わなかった。われわれ…と言った。オマリー家時代のLAドジャースでは、キャンプが始まり、新人の球団職員やルーキーたちがやってくると「いちばん大切なコトバは“WE”。いちばんいけないコトバは“I”」と教えているが、王はベロビーチキャンプで習ったからこう述べたのではない。王貞治の人柄そのものであった。“同門”の末次利光が背すじをのばして着席している。黒江透修が両手を握りしめている。荒川夫妻を尊敬し健康を案じ、自宅が千葉県木更津であるのに、一日おきには荒川家を訪れていた。ゴルフのレッスンプロ、多田泰善はこの日も涙が止まらなかった。

 

 黒江が弔辞に立った。

 

「ある晩、なにかの会でイッパイ呑んでから王さんはじめ、私たちは荒川さんちに集まりました。いま、バットを振るのはよくないと、荒川さんが言いました。2時間待ってちょうど午前0時になってそとへ出ました」

 

 当時、荒川の家は早稲田実業(新宿区早稲田鶴巻町)の横門の前であった。

 

「振り出したら空から白いものが降りて来ました。霜でした。私たちはバットを振っていましたから寒くありませんでしたが、荒川さんはジャンパー一枚。髪に霜が降りました。さぞ、寒かった…と思います」

 

 焼香をすませた人々のなかに、王貞治のいちばん上の姉さんの幸江さんと、すぐ上の姉さん、順子さんがお堂の隅にいた。幸江さんは戦時下、茨城県笠間に学童疎開。当時学童たちが泊まるのは寺が多かったが、幸江さんたちは旅館だった。そのあと順子さんも学童疎開。順子さんも、幸江さんの旅館のすぐそばの旅館に。順子さんはお姉さんの宿に毎日遊びに行った。お姉さんと、お姉さんの友達に可愛がられた。姉妹は、手をつなぐようにして“お見送り”を待っていた。

 

 日が西に傾き始めた。出棺は午後3時40分であった。寺門のそばの高い樹でモズがしきりに鳴いていた。幸江さんと順子さんはそれは丁寧に手を合わせていた。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)

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