【気になるアノ人を追跡調査!野球探偵の備忘録】かつて桐生第一(群馬)のエースとして甲子園優勝を成し遂げた正田樹投手(35)。日本ハムのドラフト1位指名を受け、プロの世界に飛び込み、3年目には新人王を獲得も、その後は波瀾万丈の野球人生。度重なる戦力外とトライアウトを経て4か国9球団を渡り歩き、現在は愛媛マンダリンパイレーツでプレーしている。そんな苦労人が、今なお挑戦し続ける理由などを明かした。

 正田のプロ入りはまさに順風満帆。甲子園優勝を飾り、ドラフト1位で日本ハム入団とこれ以上ない船出を飾り、3年目にはパ・リーグ新人王にも輝いた。だが、そこから徐々に成績は下降。8年目の2007年開幕直前に阪神へトレードに出されたが、一度も一軍登板を経験しないまま、08年に戦力外を言い渡された。

 その年に受けたトライアウトでは獲得を希望する球団はなかったが「台湾の球団から誘いがあった。そこしかなかったので野球ができるなら他のことは気にならなかった」。単身飛び込んだ海外。言葉や食生活の壁に戸惑いながらも力を蓄え、その後、独立リーグの新潟アルビレックスで活躍。そこで再びチャンスに恵まれ、11年オフにヤクルトと契約。独立リーグからのNPB復帰は史上2人目の快挙だった。

「独立からNPBへの道筋を残したなんて言われますが、当時は自分のことしか考えてなかった。でも、いつか戻れると信じて、独立でもプレーを続ける選手が増えたことはよかったかな」

 ヤクルトでは2年間、一軍戦でも登板したが、13年に再び戦力外。それでも諦めず2度、3度とトライアウトに挑戦した。その波瀾万丈な野球人生と不屈の精神が注目を集めたが、納得のいかないことも数多く経験したという。阪神を戦力外となり、あるテレビ番組に出演した時のこと。「ああいうのは出ちゃダメですね。メディアの方は僕の悩んでる姿や葛藤を撮りたいわけでしょ。でも僕としてはここでダメならすぐ次というつもりだった。演出と言われても思ってもないことはできない。それで淡々とした態度でいたんですが…」。ネット上には「ふてくされてる」「態度が悪い」という中傷があふれた。むなしかった。

 今では、戦力外特集や大々的に催されるトライアウトにも違和感を持っている。「今のトライアウトのシステムには興行的な面がありますよね。3回も受けててなんですが、選手としてはできれば、ああいう場では受けたくない。それならば前回(NPBに)戻ったときのようにトライアウト前の段階で必要とされる選手にならないといけないと思う」。16年11月、甲子園球場でのトライアウトに正田の姿はなかったが、これについても「当然(トライアウトは)当日の結果だけで決まるわけではない。獲る予定の選手にはシーズン中から編成の方が訪れます。今回はそういうこともなかったので。まあタイミングですかね」と話した。

 すでに30代中盤。体力的にもギリギリの年齢に差し掛かる。だが、今回参加を見送ったからといってNPBへの挑戦を諦めたわけではない。「トライアウトは3回受けましたけど、これが最後だと思ったことがないんです。『これがダメなら引退』という人は多いけれど、僕は『これがダメでもまだ野球をやりたい』。まあ往生際が悪いんです。ここ(独立リーグ)で終わりたくないという気持ちはある。これまでいろんな取材に漠然とした答え方をしてきましたが『NPBへのこだわりはもうない』とか、自分の気持ちと違うニュアンスで書かれることが多かった。だからこの際はっきり言います。やっぱりNPBでもう一度やりたい。自分の体が動く限りは」。いまだあせぬNPBへの思い。正田はその場所に挑み続ける。