【赤坂英一「赤ペン!!」】今年最後の当コラムは追悼原稿である。11日、66歳で亡くなった元巨人投手・加藤初さんの思い出を記しておきたい。

 加藤さんがユニホームを脱いだ1990年、縁あって引退手記の構成を務めることになった。要するにゴーストだ。夕刊紙に連載されたこの原稿が廣済堂出版の社長の目に留まり、翌91年に新書で出版された。タイトルは「巨人軍仲よくするより強くなれ/風雲熱投19年!鉄仮面投手の直言を受けてみろ」である。

 加藤さんにとって現役最後だった90年、巨人はチーム防御率2・83と12球団一の投手力を誇り、2位広島に22ゲーム差で独走優勝した。が、日本シリーズでは黄金時代の西武に4連敗。加藤さんは、このぶざまな負け方が悔しくてならなかった。

「シリーズ前の合宿で、投手みんなで西武の打者のビデオを見てたんだ。そしたら槙原や宮本が、すげえ、やべえ、少しでも甘く入ったら打たれるぞ、なんて話してる。要するに、試合前から西武のイメージにのまれてたわけだ。戦う前から負けてたと言ってもいいね」

 当時の投手陣は結束力が強いことで有名だったが、「だからってみんなで仲よく負けちゃったらダメだ」とこう続けた。

「おれが主力だったころは、江川、西本、新浦、定岡、角と、みんな毒気があったよね。表向きは和気あいあいとやってるようだけど、誰かがケガでもしたら、しめしめ、おれの出番が増えるぞ、イヒヒってこっそり笑ってるやつばっかり。プロはチーム内のライバルの失敗を喜ぶくらいでないと。そういうもんだよ」

 巨人に移籍する前、72年から4年間在籍した西鉄(最後3年間は太平洋)では、エースの東尾修と張り合った。

「遠征中、ホテルの部屋でトンビ(東尾)とポーカーを始めたら、ふたりとも熱くなってやめられなくなってさ。一晩中、朝までやって、明くる日はダブルヘッダーの第1試合におれ、第2試合にトンビが先発だよ。おれは一睡もせず投げて完投勝ち。トンビも第2試合でムキになって投げて、2試合連続で完投勝利だよ。気分よかったな」

 加藤さんも東尾さんも豪傑だったんですねえ、と私が感心していると、「ただ、2試合とも消化試合だったんだけどさ」と加藤さんは笑った。鉄仮面と言われた怖い顔は試合だけ。普段の加藤さんは、とても気さくで表情の豊かな、昔かたぎの野球人だった。合掌。