【赤坂英一「赤ペン!!」】日本ハムからFA宣言した陽岱鋼が巨人に移籍すると聞き、私の脳裏に浮かんだのは2006年4月、ジャイアンツ球場で行われた巨人―日本ハムの二軍戦である。当時、19歳の陽は新人ながらも3番・ショートでスタメン出場。1安打2四球で勝利に貢献し、守備でも華麗なプレーを見せ、巨人ベンチの二軍首脳陣を大いにうならせた。

「いい、いいとは聞いていたけど、本当にいいねえ。センスがあるし、華もある。新人なのに真っ赤なリストバンドなんか使ってて、立ってるだけでも目立ってるもんね。たぶん、性格もプロ向きなんじゃないかな。そのうち、ゼニの取れる選手になりますよ、陽は」と、感心しきりだったのは福王守備走塁コーチである。「ウチにもああいう生きのいい内野手がほしい」ともらすチーム関係者もいた。3年後、陽は内野から外野へコンバートされたが、巨人の二軍首脳陣は、一度陽を見ただけで、今日の姿を予想していたわけだ。

 この二軍戦、日本ハムの高田GM(現DeNA)も視察に登場。巨人が陽を見てうらやましがっていると耳打ちすると、苦笑いしてこう言った。

「そんなこと言うなら、巨人も獲りにいっとけばよかったじゃないか。陽が来てくれたのは、おれたちがドラフトで勝負に出たからだ。そう簡単に獲れたわけじゃないぞ」

 陽は福岡第一からプロ入りする前、兄・耀勲が在籍し、母国・台湾との距離も近いソフトバンクを熱望。05年秋の高校生ドラフトでは日本ハムとの競合になり、ヒルマン監督が当たりくじを引き当てた。が、当たったと勘違いした王監督が先にガッツポーズをしたものだから、あとで日本ハムが交渉権を得たと知った陽は号泣。一時入団拒否をにおわせるまで態度を硬化させていたところを、直談判で懸命に説得したのが高田GMだったのだ。

「日本ハムは巨人と違って金がないから、ドラフトでそれぐらい冒険しないと強いチームは作れないんだよ。巨人は金があるから、FAで選手を獲ればいいだろうけどさ」

 10年前にそう話した高田GMも、陽がFAで巨人入りする今日の事態を“予言”していたことになる。ちなみに、同じ05年秋の高校生ドラフトで巨人が1位指名したのは大阪桐蔭の辻内。二軍戦で陽に1安打2四球を与えたのも辻内で、一度も一軍登板のないまま13年に引退している。