“9年越しのラブコール”が実った原監督

2011年12月15日 15時00分

 巨人の入団会見は、歓迎ムードにあふれていた。村田修一内野手(30)は「読売ジャイアンツに入団することが正式に決まりました」と緊張した面持ちであいさつ。胸元にはジャイアンツカラーのオレンジ色のネクタイがあった。プロ入り前、当時交際中だった絵美夫人から初めてプレゼントされたものだという。「嫁が9年後を狙って買ってくれたのかな」と言って会場の笑いを誘うと、硬かった表情を緩ませた。

 背番号は横浜時代と同じ「25」。「(故障で途中離脱した)WBCではユニホームだけで、胴上げに参加できなかった。今回は自分ごと参加して、原監督を胴上げしたい」と決意を語った。

 プロ入り前から、村田にとって巨人は特別な球団だった。自由獲得枠が存在した9年前のドラフトでは「横浜か巨人かで迷った」。結局、巨人は投手補強を優先し、木佐貫(現オリックス)と久保を獲得。村田は「気持ちを押し殺して横浜に入団した」と明かした。

 隣に座った原監督としても“9年越しのラブコール”が実った。「WBCで世界一を獲得した4番打者。私との相性も非常にいい」と切り出すと「(横浜に)入団した後に『野球人生はまだ長いぞ。時期がくればFAというものもある。いつか同じチームでできるといいな』と話をしたのを覚えている」と語り、秘蔵エピソードを披露した。

 原監督の来季構想では「3番・長野、4番・阿部、5番・村田」。だが「慎之助と4番の座を争ってもらいたい」と競争意識もあおる。数字目標を聞かれた村田が一瞬口ごもると、すかさず指揮官は横やりを入れ「30本塁打、100打点」のノルマを示した。

 いきなりのツッコミに苦笑いの村田だったが「そこは目指さないといけない数字」と壇上で目標達成を約束していた。