駒大高に「森繁和」なんてヤツいなかったッ

2016年11月06日 11時00分

西武入団会見で根本監督(左)、宮内球団社長と握手する森繁和(1978年12月)

【越智正典「ネット裏」】中日の新監督、森繁和は無二の親友、東都大学野球連盟事務局長白鳥正志に「ドラの監督を引き受けたよ」と電話をかけていない。白鳥も「頑張れよ」などと、電話をしていない。お互いにプロとアマの立場を気遣ってのことではない。以心伝心。わかっている。

 

 森繁和は1954年11月18日、千葉県一宮で生まれた。54年はドラの出来事でいうと「男ありて」の温情監督、天知俊一が、ドラに結団以来初めての優勝をもたらした年である。天知は毎朝、教え子の、あの鉄腕杉下茂と必ずお茶を飲んでいた。

 

 森繁和は大手電機会社が創立した、千葉県市原の科学技術工業に進んだ。高3になった春の千葉県大会2日目に八千代高から奪三振16。同じ日に成東高の鈴木孝政(中日)が市川工戦で奪三振16。

 

 73年、駒大に進学した駒大高の俊足外野手白鳥正志は、駒大野球部選手名簿の1年生のところを見て「なに! “森繁和、投手、駒大高”だって…。ヘンだ」。白鳥ら駒大高ナインは前年夏の東京大会で奮戦。明大中野、堀越…を破りベスト4に進出したが「こんなヤツはいなかったッ」。

 

 間もなく、世田谷区上祖師谷の合宿所で1年生集合がかかった。白鳥は初めて森の顔を見た。

 

「おい、駒大高にいなかったじゃないか。なんだ!」「ごめん。大学生活の心得を教えるからそれで勘弁してくれ」「なに、大学生活の心得だって」

 

 森繁和が科学技術工3年の夏、同校は審判の判定をめぐって審判とやり合って処分を受けた。すると、駒大の藤田学監がこの生徒はきっと前途有為と、駒大高卒にして引き取ったのだった。で、森ははやばやと合宿所近くのアパートで上級生の部屋子になっていたのだ。料理を作るのがうまく、中華料理も得意で、森“シェフ”は上級生にもてていた。事情を知った白鳥は呆れたが、妙なもので仲よしになった。練習休みの日に森が九十九里浜で保養の国民宿舎を営んでいる実家に仲間を誘った。おいしい魚と貝、海の幸。仲間は白鳥の車をラッキー号と呼んだ。

 

 76年春、駒大は対専大、中大、日大…と初戦を落とし苦戦の連続だったが5月30日、日大3回戦で佐藤義則(ソフトバンクコーチ)に投げ勝ち、戦国東都で駒大に3連覇をもたらした。8勝。最高殊勲選手。最優秀投手。その秋、ロッテに1位指名されたが「西のほうの野球を見て来ます」と住友金属へ。2年後、新発足の西武の管理部長兼監督、根本陸夫が1位指名。入団。83年最優秀救援投手。ホント、人の世は不思議である。

 

 白鳥はいま、東都各校の気運高まり、12月4日に決まった東都大学野球連盟85周年の祝賀会、記念行事の準備に忙しいが、招宴状に「森繁和様」と書いたとき、出会った日の、森の神妙な、しかしケロリとしていた顔を思い浮かべて吹き出していた。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)