【ペンシルベニア州ウィリアムズポート23日(日本時間24日)発】米国内の8チームと世界の8チーム、計16チームが参加するリトルリーグのワールドシリーズが開催中だ。世界一になった1976年以来40年ぶりに出場した日本代表・調布リトルは残念ながら敗退。この日、米国サウスウエスト代表テキサスと、2戦2敗で敗退したチーム同士が戦うコンソレーション・ゲームを行い、6―1で“初勝利”を挙げた。先発した遠藤涼太(13)は5回4安打1失点と好投し、最後は鈴木達哉(13)が1イニングを無失点で締めくくった。

 調布リトルが世界一に輝いた40年前、マスクをかぶっていた少年は、ヒゲを蓄えた白髪交じりのコーチとしてリトルリーグの聖地ラマディ・スタジアムに戻ってきた。永瀬誠コーチ(52)だ。選手村の食堂に飾ってある歴代優勝チームの集合写真を見つけると「これ、うちのチームだよ。これがオレだよって」と選手たちに説明したという。

 永瀬コーチは感慨深げにこう語る。「40年間、夢にまで見たラマディ・スタジアムのフィールドにもう一度立てて夢のようです。このラマディで、自分が出たチーム(調布リトル)の今の選手に野球をやってもらうことが私の夢だったので、大変感動しています」。コーチになって14年、やっと願いがかなった。

 40年が過ぎたが、記憶が色あせることはない。

「投手は津村(潔=のちに日本ハム)と荒木(大輔=のちに早実→ヤクルト、横浜)の二枚看板がいた。津村は最初の西ドイツ戦で完全試合をやって、2試合目のプエルトリコ戦では大輔がノーヒットノーラン。決勝戦では3万5000人くらいの観衆の前で米国(カリフォルニア代表)を10―3で下したんですけど、もう完全にアウェーで、向こうが点を取るとウォーってなって、足が震えたのを覚えていますね。当時は津村の方が球が速くて、大輔はコントロールとカーブが良かった」

 全日本選手権を制した数日後、「当時のメンバー14人中11人が集まって、大輔も来てくれた。みんな喜んでくれた」。

 永瀬コーチはテキサスとの試合が終わると、一礼してキャッチャーズボックスへ。わずか数秒だったが、捕手のポジションから見える景色を目に焼き付けた。

「風景、芝生の匂い、全然変わっていなくて、本当に昨日のことのように思い出すことができました。感謝しています」

 来年は世界一の景色を選手たちに見せてあげたい――永瀬コーチは聖地で固く誓った。