【越智正典「ネット裏」】高校野球地方大会が始まった。スカウトが出動する。楽天のスカウトを束ねている副会長補佐早川実は、星野仙一が中日の監督に就任すると監督付。星野の一年間のスケジュールを暗記していた。凄い男だ。1949年4月3日生まれ。当時在校生5000の福岡電波高へ。友だちが多い。福岡工大、西濃運輸の投手。都市対抗で活躍。ドラフト4位で76年中日に入団したがダブルヘッダーに登板。1日で2勝を稼いだこともあったが大洋戦で投手平松政次に本塁打を打たれて負けたこともあった。が、悠然とブルペンに戻ってくると「平松はことしのセの打撃三冠王だったな…」。たのしい男である。

 星野付のときに兼コーチ。キャンプで右翼手、ゲーリー・レーシッチに地上スレスレのノックを打ち込み「飛び込め! ワン・オア・エイト!」。何のことかと思ったら“一か八か”。中日ナインは爆笑。ゲーリーが乗った。以来ゲーリーの攻守交代が早くなった。早川は星野初優勝の熱男でもある。

 打撃練習にも登板した。身長172センチなのに大きく見えた。腕も長く見えた。腰がよく入っていたからであろう。不思議な男だ。

 星野退陣後、中日のチーフスカウト(中田宗男がスカウト部長)。阪神監督後、楽天の監督に就任した星野から電話がかかって来た。「わかっとるな」。これだけで待遇、年俸も聞かずに楽天へ。痛烈な男である。DeNAのGM、高田繁は明大で星野の1学年上。早川より4歳上だが、早川に逢うと敬意をこめて「センパイ!」。

 12年、早川は則本昂大を獲った。則本が廃校が決まっていた三重中京大で一心に投げていたからだった。が、早川は星野に則本はこういう選手…などと、報告していない。見ればわかるだろう。起用するか、否かはそっちだ…と笑っていた。

「監督はだれでも勝手なんだあー。人柄がおだやかな選手を獲ると“すぐ使える悪ガキはおらんのか”。元気な選手を獲ると“礼儀正しいのを連れて来い”」

 5月21日、早川は東京六大学の調査に神宮球場に。上京前、たしか名古屋でヤクルトのスカウト羅本新二にバッタリ。お疲れさんと“激励会”を開いてイッパイ。神宮で仕事を終えると目黒のとんかつ店に。主人堀内三郎が新潟県三条から集団就職で上京。修行をし、開いた店が30周年を迎えたからだった。泣かせる男だ。そこにDeNAの新人今永昇太の父親から電話。「おかげさまで、いま3勝目をあげました」

 早川の野球も、人を大切にするやさしさも、すべては少年時代に始まっている。父親が北九州の大きな病院のレントゲン技師。長期入院の患者が快方に向かうと、庭で野球大会を開いていたのだ。実少年は兼世話役のアイドル選手だった。星野仙一は早川が姿を見せないと淋しがる。

 会うと「このたわけ!」というクセに…。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)