ロッテ二軍監督・山下徳人「プロ野球選手は謙虚であれ」

2016年06月12日 16時00分

指名した本田技研・長野(現=巨人)に正式に入団拒否を通告され寮を後にするスカウト時代の山下二軍監督(2008年12月)

【越智正典「ネット裏」】ロッテ浦和球場でのイースタン・リーグの試合が終わってから、となりの屋内練習場へ練習を見に行った。二軍は特に、一軍のペナントレースの前半は、落ちてくる選手を復帰させなければならないから二軍監督は彼らを起用することになる。その分、二軍選手の起用は後回しになる。その二軍もメンバー構成が、二軍、三軍、四軍…級が一緒になっている。運用がむずかしい。一軍がまだ、本当には安定していないロッテもそうだ。二軍が本来の未来軍になるのは、はやくても一軍の交流戦が終わってからになるだろう。

 

 前に、よき時代のオマリー家の、ドジャースのAAAチームをニューメキシコ州のアルバカーキーに見に行ったことがある。チームが遠征試合を連敗で帰って来たその日、LAからファーム担当の副社長シュワッピーが飛んで来て、試合前の練習中止をいい渡し、本拠地チームの練習時間、2時間ぶっとおしのランニングを命じた。彼はこのファームチームの若いGM、サンチェスや用具係らに向かって叫んだ。

 

「われわれは、すぐれたボールプレーヤーを育てる前にすぐれたアスリートを育てなければならない!」

 

 ロッテ新二軍監督、箕島高、東洋大、ロッテで現役の山下徳人に会った。山下は二軍監督になる前にスカウトを10年、二軍打撃コーチを2年間務めている。スカウトは夏の甲子園大会でいうと、第86回大会から第95回大会までで、担当区は北陸、中京、それに東都大学だった。

 

「スカウトになれて本当によかったです。おかげさまで…」と話し出した。いまの高校選手や大学選手の長短がよくわかった。その後の指導に役立った…というのか、と思ったらそうではなかった。

 

「プロ野球は謙虚であれ!と、つくづく思いました。現役中は、遠征のときは乗車券も航空搭乗券もマネジャーが用意してくれました。ホテルもそうです。ですが世の中に出てみると、全部自分でやらなければなりません。どうしたらよいのか、わからないで、はじめのうちは困りました。ところが、世の中の人たちは、自分でやっています。プロ野球人はこの当たり前のことが出来ないんです。腰を低くしなければいけないと思いました」

 

 ひとり旅が淋しかったこともあったであろう。

 

「スカウトの先輩、早川実さん(現楽天副会長補佐)が“ひとりでご飯を食べるのは味けないだろう。よかったら来ないか”と誘ってくれました。人と逢うありがたさ、人と会う(調査でも)大切を学びました」

 

 箕島高校で監督尾藤公(故)に出会ったようにいまは、若者たちと出会い、向かい合っているが間もなく猛訓練を始めるだろう。そうでなければならない。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

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