【岩村明憲 ガンガンいこう!(27)】初のワールドシリーズ出場と充実したシーズンを終え、翌年の2009年は春先から日の丸を背負った戦いが待っていました。

 第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)です。第1回にも出場していた僕ですが、まず驚かされたのは、野球ファン皆さんの注目度の高さでしょうか。

 今でも忘れられないのは大会前の宮崎合宿の光景です。練習が行われたサンマリンスタジアム宮崎に詰め掛けた人、人、人の姿。5万人ともいわれ、当時は、球場を訪れるファンの方の数が多すぎて、途中の道路まで通行止めになったなどのフィーバーも報じられました。肌で感じたのは僕ら選手も一緒でした。

 メジャーリーガーからは投手で松坂、野手でイチローさん、城島さん、福留さん、僕が参加となりました。なかなか日本ではプレーする姿が見られないとあって、特にイチローさんがサンマリンスタジアムに姿を現した時の歓声のすごさといったら…。

 真剣に武者震いがしました。これだけの方が僕たちに期待をかけてくれている、連覇を期待されていると思うと、うれしさと同時に重圧がドッと押し寄せてきました。

 まずは、やるべきことをやるのが大事と気を引き締めました。特に僕とイチローさんはそれぞれ、外野手と内野手のまとめ役を任せられていました。

 イチローさんとはお互いに意見を出し合いながら、チームをまとめていくことに心を砕きました。

 宮崎でも食事会を開きましたし、東京でも選手全員で決起集会を行い、大いに盛り上がりました。僕が地元の愛媛・宇和島産のブリを懇意の料理店に持ち込み、ブリしゃぶ、刺し身など、たらふく食べました。

 食事とお酒というのは人と人との距離を近くする作用がありますよね。急造チームではありましたが、大会が近づくにつれて、一体感が生まれてくるのを感じました。

 また、僕が内野手のまとめ役として他の選手に対して繰り返し訴えていたのは「とにかくここにいる全員で戦う」ということです。誰がスタメンで出るとか、関係ない。招集されたからには、気持ちを切らさずに最後まで準備しようといったことを常に言ってきました。

 当時、広島の栗原健太が最終メンバーに落選したときにも「とにかく、ここで気持ちを切らさないでほしい」と伝えました。そうすることでシーズンにも影響があるし、ひいては野球人生にも影響してくる。とにかく、前向きにこの経験を生かしてやっていってほしいと合宿を離れるときに語りかけました。

 結果として栗原は、その後、村田修一(当時横浜)が大会中に右太もも裏を痛め、帰国となった時に緊急招集となり、代役を果たしました。

 気持ちを切らさなかったことが、ひいてはいい結果につながったのかなとうれしかったことを覚えています。

 一方で僕はといえば、予想外の不振に悩まされることになりました。