【岩村明憲 ガンガンいこう!(3)】2006年、古田兼任監督は地域密着と新たなファンサービスの拡大を目的に「Fプロジェクト」(以下「Fプロ」)を立ち上げました。

 その理念自体には賛同できましたが、納得できないことが1つだけ、ありました。

 それは登場曲の問題。当時僕は矢沢永吉さんの「止まらないHa~Ha」を使用していました。これを打席に向かう時に流してもらい、サビの「Ha~Ha」の部分を球場のファンが口ずさんでくれることで気持ちを高めて打席に向かっていましたが、肝心のその部分を、Fプロの発案で切られてしまいました。

“長い”ってね。でもそれは僕にとっては悔しくてね。「盛り上がるのはそこじゃん!」とせっかくファンの方と続けてきた儀式だっただけに納得いかなくて。結局話し合いの末に、元の長さに戻してもらった経緯がありました。

 また、当時のヤクルトは古田監督が就任1年目で様々な改革を行いました。メジャー式を取り入れ、練習時の短パンOK、練習時間の短縮など。確かにチーム内でも物議を醸し、僕も反乱分子の一人と見られていたのかな。でも周囲の見方ほど僕は反対していませんでした。

 というのも古田さんがメジャー式を取り入れるという意図は伝わってきましたし、そもそも何かを改革するときは叩かれることが多いことは自分の経験上も分かっていました。それでも何かを変えたいと考えたその気持ちが、伝わってきたからです。

 後日談ですが、その後レイズのマドン監督に言われたことがあります。

「日本の野球はメジャーの20年前の野球をやってるぞ」ってね。

 練習に関していえば、メジャーでもかつては日本式に長い時間をかけて行っていました。その後、必要な部分だけを求めることでシンプルになっていったと説明を受けて、納得した覚えがあります。

 だから今になって、改めて古田さんがやろうとしていたことは大事だったなと思うんです。

 反発もしましたが、僕も現在ルートインBCリーグ・福島ホープスの選手兼任監督を務めることで、当時の古田さんの苦労がよく分かるようになりました。まずはチームのこと、さらにプレーヤーとしての自分のパフォーマンスにも気を配らないといけない。本当に大変だったろうなと感じています。

 幸い、知人を通じて、フルさんからは「お前のやることを応援している。見ているからな」とメッセージももらいました。本当にありがたいよね。その気持ちに応えなくてはいけないと思っています。

 次回からは野球をやり始めたきっかけ、幼少期を振り返ります。