【薬物逮捕でアウト!番長の転落と闇(8)】覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が薬物に手を出したのはいつなのか。巨人時代という指摘が多い中、本紙は西武時代の米国ハワイ・マウイキャンプで、ある騒動に関する貴重な証言を複数の関係者から入手した。同容疑者が1次キャンプ地のマウイ島で薬物騒動を起こし、現地警察に“一時拘束”されていたというのだ。

 当時西武に在籍した複数の関係者の話を総合するとこうだ。

「1995年か96年(2月)のマウイキャンプ中にキヨと数人のチームメートが現地で騒ぎを起こして警察沙汰になったことがあった。警察が駆けつけると彼らが大麻を吸引していることが分かり、一時拘束され大騒動になった。知らせを聞いた当時の球団本部次長、通訳らが何度も警察と交渉を行いこれをもみ消した。事後処理は現地駐在の西武グループ関係者が行い、公に知られることはなかった」

 これは当サイトが11日に報じた巨人時代の元同僚選手(47)が清原容疑者とチームメートとなった98年当時の話として「(薬物を)オレは教えていない。(本人がすでに)知っていたと思う。西武時代のハワイ旅行でマリフアナを吸ったとか言っていた」という証言に符合する。

 西武在籍中に8度のパ・リーグ制覇、6度の日本一に輝き、6度のハワイV旅行に参加。また、6度のマウイキャンプを経験している清原容疑者が、95年より以前に海外でマリフアナ体験をしていたのかどうか定かではない。しかし、当時の関係者の記憶として確実に刻まれている最初の薬物騒動が9年に及ぶ森政権時代が終わり、東尾政権に変わった最初のマウイキャンプでの大麻騒動だったという。

 デビューシーズンの86年から“西武の顔”として活躍した清原容疑者は当時、プロ10年目の27歳。覚醒剤に手を出したのはプレッシャーがかかった巨人時代とも言われているが、薬物の原点は巨人ではなく、西武時代にあったようだ。となれば実に20年以上も“クスリ漬け”となっている可能性もある。

 とにかく、これが事実ならまさに球団の組織的隠蔽ということになり、西武の罪も重い。ただ、当時の時代背景を考えると、もみ消し工作は球団として避けられなかったともいえる。当時を知る関係者の一人は「今の時代なら許されるべきことではないし、隠し切れない。ただ、あの当時は『コンプライアンス(法令順守)』なんていう言葉は聞いたこともない時代。組織全体が『身内を守れ』『選手を守れ』という意思で統一されていて、現場は上からの指示通りに動くしかなかった。内部告発なんていう発想すらなかった」と振り返る。

 清原容疑者の現状を考えると、この時の“逮捕未遂”が底のない薬物地獄にハマり込んでいく入り口となってしまったのかもしれない。逆にこの時逮捕されて大問題になっていれば、事の重大さに気づいて二度と薬物に手をつけなかったかもしれない。小さいころから何でも自分の思い通りに物事が動き、周囲の人間にお膳立てしてもらうことに慣れてしまった人間の末路――というにはあまりにも悲劇的な“甘やかし体質”が、当時の清原容疑者の背景にあったようだ。

 95年は右肩を亜脱臼し、10年目で初めて安打が100本を切り(99本)、打率も過去最低の2割4分5厘と不本意なシーズンとなった。不振の原因として薬物の影響があったのかもしれない…。