【原巨人の終幕(上)】19日、読売新聞東京本社で開かれた退任会見。チームカラーであるオレンジ色のネクタイを締めた原辰徳監督(57)は、笑みを浮かべて着席すると、晴れやかな表情で「ここ3年ほどはチーム力が低下し、明らかに成績が落ちてきた。そろそろこの辺が潮時であり、チームには新陳代謝が必要であろうと。そろそろ新しいリーダー、監督にバトンを託すことが、ジャイアンツにとっても、プロ野球にとっても正しいと思った」と改めて自らの口で、身を引く決意を固めた経緯を語った。

 一見、円満ムード満点だったこの日の会見。だが「新陳代謝」や「新しい風」という言葉だけでは、監督交代劇に至った真の理由は伝わってこない。原監督はなぜ、去らねばならなかったのか。

 球団内にその兆候が表れたのは、今年5月。原沢GM(当時)が、前触れもなく、突如GM職を解かれたのだ。原沢氏といえば、あの“清武の乱”後、玉突き的に同職を任されていた人物。同氏はもともと、チーム編成業務は門外漢だった。そのためここ数年はドラフトや外国人、FA補強でも原監督の意見を重視し、その人脈に頼りきってきた。一方、指揮官自身も率先して編成業務に関わった。

 毎年優勝を義務付けられる現場の監督が、目先の勝利を追い求めるのは当然だが、本来の編成業務とは数年先のチーム像を見据えて進めるもの。しかし、球団がそれを放棄して近視眼的なチーム作りを進めた結果、ドラフトでの即戦力偏重による高卒スター候補の不在、FA人的補償で一岡(広島)、奥村(ヤクルト)らの若手有望株流出を招き、選手の高齢化といった問題にも悩まされる事態となった。

 近年は貧打に悩まされ、コーチ陣の指導力を疑問視する声も高まっていた。だが事実上の“全権監督”となった原監督に、球団はテコ入れを進言できない。チーム停滞の原因は、現場の監督に全てを委ねきっている球団構造にあるのではないか。そう危機感を感じた読売上層部は“エース”を球団に送り込んだ――。(続く)