【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・桑田投手チーフコーチが21日朝に喉の痛みを訴え、新型コロナウイルスに感染したことが発覚した。という球団発表を聞いて、ふと彼の現役時代を思い出した。

 実は桑田コーチ、若いころから体調管理に人一倍注意していながら、扁桃(へんとう)が一つの“弱点”。シーズン中に突然練習を休んだり、登板を回避したりしたこともあり「扁桃を切ればいいんだよ」とボヤいたコーチもいた。

 それでも、現役時代は投げて勝ちさえすれば、批判を封じることができた。チーフコーチに就任した今年、隔離生活から復帰したら、どうやって投手陣を立て直すのか。

 27日現在、チーム失点327は12球団最悪で唯一の300点台。同四球233個も12球団最多で、桑田コーチ自ら課題に掲げていた四球の多さが解消できていない。

 桑田コーチがやりくりに苦労しているのは理解できる。例えばカーブを自ら教えたドラフト3位新人・赤星。1日のソフトバンク戦で5回途中6失点で負け投手となったが「球威が戻ってきたから」と、中6日で翌週先発させると桑田コーチは試合後に明言した。

 それなのに、赤星は翌々日の3日に登録抹消。桑田コーチは菅野、戸郷、新外国人2人が好調なので彼らの起用を優先したと、のちに説明している。

 ところが、赤星はその後、コロナ特例で9日の西武戦に緊急先発。5回1失点で3勝目を挙げた。が、中13日だった23日のDeNA戦は4回5失点でKO。中2日で中継ぎ登板した26日のヤクルト戦では同点適時打を打たれて1失点。新人がこう再三起用法を変えられたら、本来の力は発揮できないだろう。

 そこでまた現役時代の桑田を思い返すと1980~90年代は投手陣の結束力が大変強かった。槙原、斎藤、宮本、水野、香田に捕手・村田が加わって一大派閥を形成。

 藤田監督時代の90年には88勝して独走優勝し、チーム防御率2・83と12球団唯一の2点台を記録。当時の主力たちは私生活でも仲が良く、しょっちゅう夜の街にも繰り出していたものだ。

 桑田はそうした主流派からは距離を置いていたが、岡島、三沢など自分を慕う後輩たちを指導。若手の手本として独特の存在感を示していた。

 今の巨人投手陣にも、そういうリーダーが必要ではないか。比較的最近では精神的支柱の役割を果たした内海やマシソンのような例もある。巨人の将来のためにも、桑田コーチには投手陣のリーダー育成も求めたい。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。