「新庄の考え」は浸透するのか? 配布秘ノートだけじゃない〝マウス〟にも注目

2022年02月01日 14時00分

ビッグボスは阪神時代に野村監督(左)から多くを学んだ(東スポWeb)
ビッグボスは阪神時代に野村監督(左)から多くを学んだ(東スポWeb)

【赤坂英一 赤ペン!!】今キャンプで、ビッグボス「新庄の考え」はどれだけ日本ハムの選手に浸透するのだろう。

 新庄監督は昨年3か月をかけて、自分の方針や野球観を記した70~80ページの本「新庄ノート」を約400冊作成。これをキャンプ最初のミーティングで選手、コーチ陣、球団スタッフに配布すると公言していた。「内容はマル秘」で部外者は読むことができない。

 この原典は、新庄監督が師と仰ぐ野村克也氏が阪神監督1年目の1999年、球団内部で配った小冊子「ノムラの考え」である。これも当時部外秘とされたが、すぐ流出してコピーが出回った。一読すると、セオリー重視のカチカチに堅実な内容。まるで、巨人V9時代の名監督・川上哲治氏が書いたかのようにも思われたほどだった。

 しかし、この「ノムラの考え」は阪神ナインに浸透せず、野村監督は3年連続最下位に終わって退任。立派な“教科書”を作っただけでは、野球は勝てないのである。

 そもそもヤクルト監督に就任した90年、当時のノムさんはかんで含めるように野球を教える監督ではなかった。ユマキャンプ初日の前夜、最初のミーティングに現れるや、ひと言も発せず、いきなりホワイトボードに「耳順(じじゅん)」と書き、「この言葉を知っとるか」と問いかけている。

 孔子の「論語」にある言葉で、60歳にして何を聞いても理解でき、動揺も立腹もしなくなったという意味である。当然、知っている選手は一人もいなかった。野村監督は以後2週間、野球の話はほとんどせず、人生や人間学について、延々と語って聞かせたという。

 評論家時代、講演の面白さに定評のあった野村監督は随所にことわざや格言、ビジネス書や自己啓発本からの引用を織り交ぜた。そうした独自の話術で選手の興味を引きつけ、“野球脳”の下地を育んでいったのだ。

 野村監督が本題の野球の話に移ると、「ノートに取るのが大変だった」と当時の選手たちは口を揃える。ヤクルト時代の野村監督は“教科書”など用意せず、ホワイトボードに書きながら説明する。テーマが変わると、松井優典マネジャーがそれを全部消してしまうため、大急ぎで書き写さなければならなかった。野村監督はそうやって選手を導き、ヤクルトを強くしたわけだ。さて、独特の話術に定評のある新庄監督は、どんなやり方で選手教育をしていくのか。「新庄ノート」の中身とともに、“口”のほうにも興味津々だ。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。

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