松井秀喜氏の55番後継者・秋広ヘのメッセージが話題 巨人背番号50番台秘話

2022年01月11日 14時00分

大田(右)を指導する松井氏(東スポWeb)
大田(右)を指導する松井氏(東スポWeb)

【赤坂英一 赤ペン!!】先日、背番号55の後継者となった巨人・秋広に対する松井秀喜氏のメッセージが、系列スポーツ紙に伝えられた。

「もう20年近く前からジャイアンツの55番は私の番号ではありません。もし今でもジャイアンツの55番に私の面影を感じてくださる方がおられるならば光栄ではありますが、そんなことを秋広選手が受け止める必要はまったくありません。背番号55が東京ドームで躍動してくれたら、私もとてもうれしいです」

 この松井氏の発言の背景には、最初に55の後継者にさせられた大田(現DeNA)の存在があるのではないか。

 大田は1年目の2009年“松井2世”として売り出したい球団首脳の意向により55番を与えられた。が、14年に松井氏がキャンプ中限定の臨時コーチに就任。これが巨人復帰、監督就任への布石かと騒がれ、球団も55番を空けておかなければと考えたのか、大田の背番号を44に変更したのだ。

 しかし、松井氏にとっては、これがかえって気兼ねのもとになったように思う。キャンプでは熱心に大田を指導して生来の長打力を絶賛し、今後の飛躍を願っていた。

 翌15年、スポンサー企業のイベントで巨人復帰について聞かれた松井氏は「あるかもしれないし、ないかもしれない」と回答。さらに「そのとき(の背番号)は55じゃないかもしれない」とも発言。55に愛着はあっても、こだわりはないことをうかがわせた。

 そもそも松井氏が入団する前、1980年代の巨人では、50番台の背番号は期待の若手に対し、登竜門的な意味を込めて与えられるケースが多かった。松井氏の前の55の出世頭といえば吉村(現国際部長)である。

 80年代は、チャンスに強く「満塁男」と異名を取った駒田(現三軍監督)が50。94年の完全試合で知られる槙原が54。彼らは吉村と合わせ、将来を担う「50番台トリオ」と呼ばれた。のちに正捕手やヘッドコーチを務めた村田も90年までは56。

 50番台の彼らはそろって主力となった。松井氏が巨人を去って約20年、秋広に55が与えられて、ようやく本来の存在意義を取り戻したということなのかもしれない。

 なお、松井氏が入団時に背番号55を選んだのは、王のシーズン本塁打記録55本を抜くという意気込みの表れだと報じられた。仮契約の会見でこの件を確認された松井氏は、こう言っている。

「あれは、新聞のヤラセです」

 あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。

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