「経営者」でもあった名将・古葉竹識 厳しさと気配りを使い分けた采配は大学監督でも健在

2022年01月05日 14時00分

東京国際大で指揮を執った古葉さん(東スポWeb)
東京国際大で指揮を執った古葉さん(東スポWeb)

【赤坂英一 赤ペン!!】元広島監督・古葉竹識さんが昨年11月12日、85歳で心不全のため亡くなった。1975年の初優勝をはじめリーグ優勝4度、日本一3度。99年に野球殿堂入りを果たした名将だった。

 そうした数々の戦績もさりながら、古葉さんが他の監督と一線を画していたのは、単なる指揮官としてではなく、経営者としてチームを動かし、選手たちへの配慮を怠らなかったところにある。

 今と違って旧広島市民球場のスタンドに閑古鳥が鳴いていた時代、古葉さんは報道陣の前で入場者数と興行収入を推算。「もっとお客さんを呼ばないとな」ともらすことがよくあったという。

 大差をつけられた敗色濃厚な試合では、後半になると控えの若手を積極的に起用した。古葉さんはその際、一人ひとりに「おまえ、給料なんぼだ?」と聞いている。

 年俸が一軍最低保証額に満たない選手を試合に出すと、差額が日割りで支給される。現在は登録されればベンチにいても差額がもらえるが、80年代は試合に出場しないと一銭にもならなかった。だから、古葉さんは若手に逐一給料を聞き、安い順に使っていたわけだ。

 そうした細かい気配りをする半面、日頃の指導は熱く厳しかった。体罰など当たり前だったこの時代、古葉さんも「よく選手を蹴り上げていた」と自ら明かしている。

 2008年、古葉さんは東京国際大学の野球部監督に就任。私が埼玉県坂戸市のグラウンドまで訪ねると「遠いところをわざわざお越しいただき、どうもありがとうございます」と白いものの交じった頭を下げられた。

 この通称「坂戸キャンパス」は野球場をはじめサッカー場、陸上競技場、フットサルコートなどのグラウンドが併設され、総面積は17万2000平方メートルに及ぶ。70代の古葉さんはその広大な施設を詳細に説明し「今も学生を厳しく指導してますよ」と、こう語ってくれた。

「私が話をしている時、ヨソを向いたり、ずっと下を見てる子がいると、コラッ!と呼びつけて叱るんです。今はあまり怒っちゃいかんと言われますけどね。私は学生を預かる前、保護者の方々にも確かめてるんです。『私の指導は厳しいですよ、お子さんを預けても大丈夫でしょうね』と」

 しかし、その一方で、「昔と今では随分違う」と、こうもらしていた。

「大学4年である程度の単位が取れてる子は、昼過ぎには練習に来れる。でも、そうでない子は、授業があるから、夕方でないと練習に来れない。もう少し何とかならんかと思うんだが、野球さえできればいいという時代じゃないからね、今は」

 プロ時代に培った粘り強い指導力が実って、11年には東京新大学の春季リーグで見事に初優勝。その年の全日本大学野球選手権でも、堂々ベスト4進出を果たしている。

 よく知られている座右の銘は「耐えて勝つ」。広島監督時代の厳しさと気配りを使い分けた采配は、亡くなる10年前まで健在だったのである。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。

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