大下剛史氏 カープ名将・古葉竹識さん悼む「あくなき勝利への執念…古葉スマイルは一面でしかない」

2021年11月16日 18時05分

広島・長内(左)に指示を出す古葉監督(中)と大下コーチ(1983年=東スポWeb)
広島・長内(左)に指示を出す古葉監督(中)と大下コーチ(1983年=東スポWeb)

【大下剛史・熱血球論】また寂しい知らせが舞い込んできた。古葉竹識さんの訃報。広島商の後輩でもあった三村敏之に衣笠祥雄…。広島で1975年のリーグ初優勝をともに喜んだ戦友たちが次々と天国へ旅立ち、ついには指揮官まで逝ってしまった。

 古葉さんとは、74年オフに日本ハムからトレードで広島に移籍する前から共通の知人を通じて面識はあった。背格好も似通った同じ内野手ということもあり、現役晩年の南海時代には二塁ベース付近で声をかけてもらったりしていた。広島で同じユニホームを着ることになると「剛史、よう帰ってきたな」と喜んでくれたことを思い出す。

 ルーツ監督で始まった75年の開幕当初、古葉さんは三塁コーチャーをされていた。主に1番を任されていた私は「好きに走っていいぞ」と、のびのびとプレーさせてもらい、ルーツ監督の電撃退団で5月に監督になられてからは「お前の言うことなら聞くから頼むぞ」と山本浩二や衣笠、エースの外木場義郎といった主力選手のまとめ役を託された。

 同年のリーグ初優勝、初タイトルとなる盗塁王を獲得できたのは古葉さんのおかげ。移籍1年目に全幅の信頼を寄せてもらい、12年に及んだ現役生活の中でも忘れられない1年となった。

 古葉さんと言えば、まず思い浮かぶのは〝古葉スマイル〟だろう。温和で温厚な人柄で、ファンからの人気も高かった。ただ、それは古葉さんの一面でしかない。あくなき勝利への執念で一切の妥協を許さず、誤解を恐れずに言うなら、頑固で冷徹な一面もあった。

 指揮官たるもの、全ての選手にいい顔をすることはできない。えこひいきと言われても、勝つために必要な戦力を大事にする。干された選手は当然ながら不平不満を漏らすが、嫌われようと構わないというのが古葉さんのスタンス。だからこそカープで黄金期を築けたのだと思う。

 真の勝負師で、言うなれば「肥後もっこす」そのもの。野球人として多くのことを学ばせていただいた。合掌。(本紙専属評論家)

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