【泥だらけのサウスポー Be Mike(29)】あの試合、1992年9月11日のヤクルト戦、僕はベンチ入りしていました。阪神の先発はあのシーズン、ブレークした中込伸。ヤクルトは伊東昭光さんでした。

 3―3で迎えた9回裏の阪神の攻撃です。二死一塁の場面で八木裕が打席へ入りました。

 打球はレフトオーバーの大飛球。左翼・城友博が背走しジャンプしたグラブの先を越え、八木の打球はラバーフェンス上部に当たりスタンドインしました。

 二塁塁審・平光清さんがグルグルと腕を回し、八木は三塁コーチャーの島野育夫さんと手をつなぎ、万歳しながらホームイン。阪神のサヨナラ勝ちでヤクルト、巨人、阪神が同率首位に並ぶはずでした…。

 そりゃ、甲子園はお祭り騒ぎですよ。ヒーローインタビュー用のお立ち台も用意され、スタンドの虎党も大興奮です。

 ですが、ヤクルトの左翼・城と中堅・飯田哲也はちゃんと見えていたんでしょう。野村監督もナインも総出で猛抗議です。実際、映像を確認するとラバーフェンス最上部に当たり、金網のフェンスを打球が越えていました。

 審判団が協議した上で「エンタイトルツーベースで、二死二、三塁から再開」と判定が覆りました。平光審判が場内放送で間違いを認め、その上でそのオフには審判を辞められたという事態にもなりました。

 一度はサヨナラ勝利となった判定が覆ると、今度は中村監督も黙ってはいませんでした。「放棄試合にしてやる。(ロッカーへ)帰れ」と言われて、30分ほど本当にロッカーで待機しましたもんね。

 とはいえ放棄試合となると敗戦になってしまいます。当時の三好球団社長の説得もあり、37分の中断で試合再開となりました。

 結局、延長15回まで戦って引き分けです。6時間26分というのは今でもNPB最長試合です。

 9回のあの場面、エンタイトル二塁打でなければ、一塁走者がかえってサヨナラだったかもしれません。前年みたいにラッキーゾーンがあれば、文句なしのサヨナラホームランだったはずです。

 あれだけ盛り上がって勝てなかったことは、雰囲気としては負けたような印象が残ったのを覚えています。

 あのころはリプレー検証もないですからね。どんな誤審でも、当時は判定が簡単に覆ることなど、まずはなかったですからね。

 ところが、ヤクルトの猛抗議を受け入れて簡単に判定が覆りました。受け入れられない思いは選手、スタッフももちろんですし、グラウンドに乱入して逮捕されるファンもいたほどです。それこそ異様な雰囲気でした。

「タラレバ」はないのですが、あの試合をそのままサヨナラ勝ちしていたら優勝していたかもしれませんね。

 あの時の裏話としましては、八木と一緒に手をつないでホームにかえってきた島野さん(故人)ですよ。

 幻のホームインをする直前に、八木と同じスピードで無理して走り過ぎて、実は肉離れを起こしているんです。

 あの当時を思うと、島野さんの優しかった人柄を思い出します。