【仲田幸司コラム】強烈なインパクトを残してくれた大先輩・川藤さん

2021年11月02日 11時00分

川藤さんにはお世話になりました(東スポWeb)
川藤さんにはお世話になりました(東スポWeb)

【泥だらけのサウスポー Be Mike(27)】2年目の1985年にプロ初完投初完封で初勝利を収めるなど3勝を挙げ、日本一まで体験。3年目には7勝、4年目には8勝とステップアップしていましたが、その後は伸び悩んでいました。

 8年目の91年にはついに1勝という成績に終わり、僕は正直クビを覚悟していました。プロ野球は厳しい世界です。

 僕が成長する過程で、いろんな先輩との出会いもありました。その中でも強烈なインパクトを残したのが川藤幸三さん(現阪神OB会長)です。

 3年目の86年のことです。8月17日の中日戦(ナゴヤ球場)で僕は先発することが決まっていました。その当日の昼前です。遠征先の宿舎の電話が鳴りました。当時はスマホもない時代です。

「おおマイクよ。ワシや川藤や。お前、どないしとんのや。あのよう、ワシの行きつけのお好み焼き屋があるからよう、メシでも行かんか」

 大先輩からのお誘いです。もちろん「ノー」の選択肢はありません。若手の立場だった僕からすれば、有名人の先輩から誘っていただいてうれしかったです。
 約束の時間にホテルのロビーに下りて、タクシーで現地に向かいました。

 ガラガラッと店の扉を開けるなり、川藤さんはお店の大将に言い放ちました。

「おう、大将、生ビール2丁な」

 2丁って僕も飲むの? ええーっ、僕きょう先発ですよ。心の中で訴えましたが、断れるはずがありません。1杯くらい仕方ないかと口にしました。

 豪快な川藤さんです。1杯で終わるはずがなく、大将の料理とともに何杯かのビールをいただき、宿舎へ帰りました。

 さて、午後3時過ぎには球場へ出発です。通常、若手はバスの後ろの方に乗車するのですが、その日は最前列の右側、川藤さんの横に座れと指令を受けました。

 最前列、左側は吉田監督の定位置だったのですが、川藤さんが「監督によぉ、もし、酒臭いな言われたら俺が飲んだと言うたるから隣におれ」とガードしてくれたわけです。
 そして「球場に着いたらなあ、グラウンドに一番に飛び出して、カッパ(汗出し用のウエア)を着て外野を走って汗出したらんかい」と送り出されました。

 そしてその試合、先発して3―0の完封勝利ですよ。勝ってもうた。そんな感覚です。

 次の登板は中4日で22日の広島戦(広島市民球場)で先発です。その遠征でも川藤さんからお呼びがかかりました。今度は広島のお好み焼き屋さんでビールをお供にランチです。

 本当はこんなこといいわけないのですが、前回完封してるのでゲン担ぎというかねえ…。

 結果は序盤でKOされてしまい、試合も2―9と敗れ黒星を喫してしまいました。吉田監督にも怒られましたねぇ。

 川藤さんは「マイクよぉ、やっぱりアカンかったのう」と慰めてくれましたが…アカンに決まってますよね。

 その次の登板は中6日で29日の巨人戦(甲子園)。もちろん寮からノンアルコールで球場入りです。試合は高校時代からのライバル・水野雄仁を相手に勝利投手になりました。

 その後は当然ですが登板前に飲むことはありませんでした。今となってはとんでもないエピソードですが、先輩にかわいがってもらった大事な楽しい思い出です。感謝しています。

 次回はどん底の91年から這い上がった92年のエピソードをお話ししたいと思います。

 ☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。

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